LAに住み続けている理由
たくましい。そもそも、なぜロサンゼルスに住んでいるのか。
「日本の芸能活動を休止後、2004年末にロサンゼルスに来ました。科学者だったお父さんがこっちにあるNASA関係の会社に勤めていたので、お父さんの近くに行きたいと思ったんです。
ロサンゼルスに一度住むと、なかなか他の街では住みにくいですね。気候が良く晴れている日が多いし、東京よりはのんびりして、最近は食べ物も美味しいんです。パンデミック前はレストランで食事をしても美味しいと思わなかったんですけど、今は美味しいお店がたくさんあります。パンデミックを経験し、みんな『がんばらなくちゃ!』という気持ちに変化したからじゃないかな(笑)」
フリーディアさんはドイツの都市シュトゥットガルト生まれ。生後まもなくブラジルへ移り、その後はアメリカ・バージニア州へ。両親の離婚で、フリーディアさんと2歳年下の弟でモデルとして活躍したジョシュアさん(享年25)は日本人の父親に引き取られて、11~12歳から日本で育った。もともと住んでいたアメリカは、言葉の面でも文化の面でも馴染みがあり住みやすいのだろう。
「もちろん日本も大好きですよ! ロサンゼルスに来たのは、洋服の勉強がしたかったからでもあるんです。最初は『フレッド・シーガル』というセレクトショップのデザインチームに知り合いがいたので、そこに入れてもらいました。生地を買いに行って、パターンを引いてもらい、裁断をやってもらいディズニーのヴィンテージTシャツなどを制作していました」
しかし、2008年にアメリカ経済は景気後退に見舞われた。フリーディアさんはフリーランスとなり、日本やアメリカ全土から来る洋服のバイヤーにアドバイスするコンサルタントとなった。
「振り返ると、いろいろやってきましたね(笑)。当時は、YouTubeでも週1~2回動画をあげて、ロサンゼルスのファッションとかの流行を発信していました。動画の撮影も編集も大好きです。2015年に息子が生まれると、定期的にYouTubeをアップするのは難しくなりましたが、またやっていきたいと思っています」
再婚については、どう思っているのだろうか。
「そうですね、してみたいとは思っています。でも、焦ってはいません。また同じことになったら……と思うと怖いので、ゆっくり考えていけたらと思います」
笑顔で離婚を語るフリーディアさんからは、穏やかな雰囲気が漂っていた。
(了。前編から読む)
◆取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)
【店舗情報】
フリーディアさん経営の文房具店『Paper Plant』