●コメントその5「こんな当たり前のことをわざわざ記事にするな」
当たり前だと思うならスルーすればいいのに、わざわざコメントするところに「ちゃんとわかっているオレを示したい愚かさ」が見え隠れします。「自分はこんな記事をありがたがるヤツらとは違う」という「セコイ選民意識という愚かさ」もありそうですね。
●コメントその6「法律で禁止されてはいない。ダメなら注意書きを店内に貼っておけ」
こういうタイプも、よくいます。「法律で善悪を判断できると思っている愚かさ」も見苦しいですが、注意書き云々を問題にする「人に決めてもらわないと何も自分で判断できない愚かさ」を平気でさらしてしまうところも、かなり恥ずかしいと言えるでしょう。
●コメントその7「『ラーメン屋』と呼び捨てにするのは失礼だ。『さん』を付けるべきだ」
重箱の隅をつついて、どっちでもいいことを鬼の首を取ったかのように指摘している光景も、しばしば目にします。思考力の器がかなり小さめで、それを「無自覚に露呈してしまう愚かさ」を持っているからこそできることだと言えるでしょう。
ほかにも「大盛りの量による」といった謎の条件付けをしてきたり、この手の話になると「また失礼クリエイターがでっちあげた嘘マナーだ」と、何でもかんでもマナー講師を悪者にすればいいと思っていたりするパターンも。マナー関係だけでなく、政治にせよ経済にせよスポーツにせよ、どんなジャンルでも同様の光景は見られます。
ただ、けっして他人ごとではありません。これらの愚かさは多くの人が持ち合わせていて、ふとした拍子に顔を出します。リアルな場面で、無意識のうちに似たようなことをやっているケースも多々あるでしょう。せっかく多くの人が、恥をさらしながら貴重な反面教師になってくれているのですから、くれぐれも気を付けたいものです。