誰もが発信者となることが可能になったことで、社会課題が生まれていることも事実である。コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。
* * *
今日もネット上には、大量のニュース記事とともに大量の匿名コメントがあふれています。あれを書き込んだり評価のボタンを押したりするエネルギーを合算したら、小さな町で必要な電力を毎日発電するぐらいのことはできるかもしれません。
じつに不毛でもったいない話です。ただ、せっせと書き込んだり誰かのコメントをちまちま評価したりしている人は、それぞれにそうせざるを得ない理由があるのでしょう。精を出せば出すほど気持ちが荒みそうに見えるのですが、まあ大きなお世話ですね。
うっかり読んでしまう側としても、漂うマイナスオーラを受け取って不愉快になるだけでは、それこそ不毛でもったいない話。パッと見にはトホホでしかないコメントたちですが、じつは多くのことを教えてくれます。ネットニュースのコメント欄は、人類が抱える多様な愚かさを知る最高の教材と言っても過言ではありません。
たとえば「ラーメン屋で無料サービスの大盛りを注文して残すのはマナー違反だ」というニュースがあったとしましょう。そこに付きそうな架空のコメントを元に考えてみると、次のような「愚かさ」を学べる可能性があります。
●コメントその1「急にお腹が痛くなった人はどうするんだ。それでも残しちゃいけないのか」
このコメントからは、特殊な前提条件を勝手にくっ付けて「屁理屈で勝った気になる愚かさ」を学べます。そもそも、そんな話はしていません。もしそうなったら自分で判断すればいいだけ。自分の主張の的外れっぷりに気付いていないところが、また厄介です。
●コメントその2「無料サービスのライスのことを書いていないから、記事として不十分だ」
あくまで「無料サービスの大盛り」の話なのに、別の話を持ってきて得意気にダメ出ししています。しかも、話の本筋とは関係ありません。「とりあえず人の話にイチャモンを付けて賢さを示したい愚かさ」にあふれたコメントと言えるでしょう。
●コメントその3「有料で大盛りにしたはずだから、残そうがどうしようが客の自由だ」
「無料サービスの」と書いてあるのに、世の中には「読解力が残念すぎる愚かさ」を備えた人が少なくありません。そういう人ほど、強い口調で自信満々にコメントし、しかも、「えっ、そうかな?」と首をかしげたくなる意見を言い出します。
●コメントその4「自分は大盛りが無料になるような大衆的な店には行ったことがない」
金持ちアピールなのかグルメアピールなのかよくわかりませんが、どうやら「隙あらばマウンティングしたくなる愚かさ」に突き動かされているようです。そして、この手の人は「見出しだけ見てコメントする愚かさ」を兼ね備えていることもしばしば。