デビューから50年、太田裕美はずっと歌い続けてきた。5年前、乳がんに蝕まれようと、手術から間を置かずにステージに立った。そしていま、再び体を病魔に襲われた彼女は、強い気持ちで病と闘おうとしている。
《先日より体調を崩し、医師の診察を受けたところ、入院加療が必要との診断でございました》
歌手の太田裕美(69才)が4月17日、休養に伴い6月に予定していた2つのコンサートの出演見合わせを発表した。2月中旬の歌手のイルカ(73才)とのジョイントコンサートでは元気な姿を見せていただけに、ファンのショックは大きかった。
「太田さんは3月に入ってから体調不良を訴え、Xの更新などをやめて休養に専念していました。今年はデビュー50周年の記念の年。6月のコンサートまでには何とかしたいと懸命に頑張っていたのですが……。ニューアルバムも制作中で、まだまだ歌い続けたいと決意を新たにしたところでしたから、本人としても悔しい思いでいっぱいだと思います」(音楽関係者)
節目にもかかわらず、無念の決断を下さなければならなかった太田。その背景には、彼女に再び忍び寄った病魔の存在があるという──。
1974年にデビューした太田がスターダムにのし上がったきっかけは、1975年に発売した『木綿のハンカチーフ』の大ヒットだった。作詞・松本隆、作曲・筒美京平という歌謡曲のゴールデンコンビが作ったこの歌は、現在でもカラオケの定番で、これまでに70人以上のアーティストにカバーされている、音楽史に語り継がれる名曲だ。その後も『赤いハイヒール』『九月の雨』『さらばシベリア鉄道』『君と歩いた青春』といったヒットを飛ばし、フォークと歌謡曲のジャンルを超えたシンガーとして活躍した。
プライベートでは1985年に音楽ディレクターと結婚。2人の子供に恵まれ、公私共に順調で平穏な日々を送っていた。
眉毛まで抜けてしまった
太田の人生を思いがけない不幸が襲ったのは、デビュー45周年を迎えた2019年、64才のときだ。
「春先、胸にしこりを感じて検査したところ、乳がんが見つかりました。それまで食事はオーガニックなものをとり、生活も規則正しく、健康には自信があったそうです。しかし、“浴びるように飲んでいた”お酒が原因かもと……医師に“乳がんと飲酒は関係が深い”と指摘されてショックを受けていましたね。
がん判明時はデビュー45周年のイベントを控えていたため、仕事と並行して治療を行うことに。7月に手術を受け、退院から3日後にはステージに立つというプロ意識には驚きました」(別の音楽関係者)
内視鏡手術だったため、手術自体の体へのダメージはさほど大きくなかったという。むしろ、その後の抗がん剤治療が、太田にとって苛酷な日々だった。
「5分も立っていられないほどのだるさと吐き気に襲われ、ずっと横になっている生活だったそうです。髪の毛が抜け落ちるのはある程度覚悟していたそうですが、まつげや眉毛まで抜けてしまったことには、ショックを隠しきれない様子でした」(前出・別の音楽関係者)