活舌よく歯切れのよいセリフが機関銃のように飛び出してきて、息詰まるような圧を感じさせる。独特の間合いが場の緊張感を高め、危ない人間という印象を強くさせる。強弱の抑揚を使い分け、畳みかけるようなセリフ回しでシーンを圧倒しながら、ある瞬間になると声のトーンをストンと落とし、テンポを変えて緊張感を緩めてしまう。視聴者はどこからが善でどこからが悪なのか、何が悪で何が正義か境界線がわからなくなり、長谷川さん演じる明墨がどういう人間なのかもつかめない。
『善と悪のパラドックス-ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史』(NTT出版)で人類学者のリチャード・ランガムは、「人間はどこにいようと、善と悪の共存という同じ性質を持っている」といい、「人間の異質な特徴は、言語道断の邪悪さから、心を打つ寛大さまでの道徳性の幅だ」と見解を示している。長谷川さんの演技は、この幅が広いのだと思う。
モスグリーンのトレンチコートの襟を立てて歩く姿は、背の高さや体型から線が細く神経質な印象さえ与えるが、胸を張って堂々と歩く姿からは周りの干渉や影響を撥ねつけるような図太いイメージを受ける。まっすぐに相手を見つめ、落ち着いたテンポのセリフは正義や善を感じさせるが、抑揚や強弱をつけた早口になっていくセリフは悪だくみや胡散臭さを感じさせる。わずかにうつむき、少しだけ目元や頬を緩めれば穏やかな印象だが、顎を上げ射るような視線を向ければ悪になる。わずかな表情の違いや話し方で善から悪へ、悪から善へと移り変わっていく演技は見ものだ。
「善の中にも悪があり、悪の中にも善がある」とある心理学者は著書に書いていた。前代未聞の逆転パラドックスエンターテインメントというドラマで、長谷川さんによって正義と悪がどう描かれていくのか期待したい。