北九州に本拠を置く指定暴力団・工藤會。市民を殺傷した4つの事件をめぐって団体トップの裁判が進むなか、「週刊ポスト」は同會の元幹部である伊藤明雄・受刑者(50)の手記を入手した。そこには、彼が一流大学から工藤會に入った経緯、組織が持つ凶暴性の源泉などが克明に綴られている。一般市民を標的とした過去の凶悪事件にも、伊藤受刑者は深く関わっていた。【全3回の第2回。第1回から読む】
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工藤會の特徴は一般市民をも攻撃対象とする凶悪性だ。過去には関連施設で機関銃やライフル、ロケットランチャーなどが押収されており、重武装化を進めたことも知られる。手記は、そんな工藤會が起こした数々の凶悪事件にも触れる。
そのひとつが2003年の倶楽部ぼおるど襲撃事件である。工藤會系の組員が小倉のクラブに手榴弾を投擲し、従業員12人に重軽傷を負わせた事件で、実行犯の組員は従業員らに取り押さえられた際に胸部圧迫で窒息死した。このクラブの経営者は暴力団追放運動を主導していた。当時、事件を知った伊藤受刑者は驚愕したという。
〈まもなく実行犯がK(原文ママ)だと聞いて、私は胸が潰れる思いがした。Kは2、3か月前に部屋住みを卒業したばかりで、文字通り同じ釜の飯を食った仲間だったのだ〉(伊藤氏の手記より・以下〈 〉内同)
事件は組織内でも“賛否”が割れたと明かす。
〈「カタギを、ましてや女を巻き込むのはけしからん」という意見もあれば、「ヤクザは怖がられてナンボ。組員が体を懸けるから飯が食える」という声も聞かれた。事実、この時期くらいから、みかじめ料を積極的に取りに回らなくても、人伝で部屋住みの私にさえケツ持ちの依頼が次々と舞い込んでくるようになった〉
〈事件は忌むべきものだと感じていても、現実はこれを契機に懐が潤い始めた。すると、私にしろ他の組員にしろ、身近な者をカネで救えるようになり、求心力は否応なく増していった。かくして組織は必ずしも総裁の意向を汲まずに動きながら、獰猛に肥大していった〉
2011年には、暴力団排除を進めていた地元ゼネコン企業の男性会長が工藤會系の組員らに射殺される建設会社会長射殺事件が起きた。この頃から警察の職務質問が目に見えて厳しくなったと記す。
〈車内検査を拒否すると、応援のパトカーが来て何時間も車が包囲され、組員は自衛の策として職務質問を録音ないし録画するようになった。あまりにひどいケースは事務局を通じて、それをYouTubeにアップした〉