日本のブライダルファッションの先駆け的存在で、海外でもウエディングドレスのコレクションを発表し、その名を世界的に知られていたデザイナーの桂由美さん(以下、桂先生)が4月26日に亡くなっていたことが30日わかった。享年94。その功績をたたえる声が各方面から上がっている。放送作家でコラムニストの山田美保子さんが生前の思い出を綴る。
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手元のスマホに訃報が流れて来た瞬間、私は特別講師を務める『早稲田美容専門学校』でセミナーの真っ最中だった。
卒業後、ブライダルの仕事に就く学生もいることから、予定していたテーマからは外れたが、長い時間をとって桂先生の足跡を話させてもらった。
実は桂先生と私は“御近所”で、トレードマークのターバンを巻き、常に華やかな柄の御召し物で、徒歩で『桂由美ブライダルハウス』に通勤する姿や、近年はワンちゃんの散歩をお一人でされている様子を度々目にしていた。
「桂先生、おはようございます」と挨拶させていただいたり、メディアに出演された後には「拝見しましたよ」と話しかけたりすると、控え目な笑顔と小さな声で応えてくださった桂先生。御自分は裏方であるという姿勢を常に崩さない方だった。
ウエディングドレスは「自分たちのためにも親御さんのためにも」
放送作家として、桂先生の半生や結婚式のトレンドを番組にさせていただいたことも数え切れない。その度にインタビューに応じてくださり、最後に長時間お話をうかがったのは4年前の秋だった。
それは、ある週刊誌の連載で、『桂由美ブライダルハウス』1階で販売しているタイツを紹介するため取材を申し込んだところ、対応してくださったのが、なんと桂先生。1階の喫茶スペース「カフェ・ド・ローズ」で、名物のシチューをふるまっていただきながら約1時間半、色々なお話を聞かせてもらった。
ちなみにここは、文字通りバラにまつわる飾りやアート、バラの世界観に因んだメニューが揃い、婚礼衣装を選びに来たカップルや母娘のみならず、近隣のオフィスに勤める女性たちにも大人気のスペースだ。
日本のブライダルの歴史を資料も見ずにスラスラと詳細に話される桂先生が口にした言葉で印象的だったのは、当時まだそれほど世間に広まっていなかった「ナシ婚」だ。
90年代、芸能人の婚礼がきっかけでトレンドとなりつつあった「地味婚」を最初に記事化したのは『女性セブン』だが、それから四半世紀以上が経ち、もう「地味婚」もやらない若者たちが増えたことを桂先生は嘆かれていらした。
結婚式場やホテルでも、家族だけで式を挙げて記念写真を撮り、館内で食事をするだけのプランが既に登場していたし、「結婚式にお金をかけるよりも旅行や住環境にお金をつかいたい」という声が主流になりつつあった頃だ。