昨年に続いて今季も日本一を目指す阪神タイガース。かつては“ダメ虎”などと呼ばれ、長らく優勝から遠ざかった時期もあったが、辛い時期を支えたのが江夏豊(75)と田淵幸一(77)の黄金バッテリー、さらに“ミスタータイガース”と呼ばれた掛布雅之(68)だ。伝説の3人が、阪神の苦闘時代を振り返る。【全3回の第2回。第1回を読む】
掛布:思い出したくない話かもしれませんが、阪神ファンの語り草になっている昭和48年(1973年)はどうでしたか?
田淵:V9の最後の年ね。
江夏:あんまりいい思い出がないな。ぶつかっては負けの繰り返し。
掛布:僕が入る1年前のシーズンでした。最後に中日、巨人戦の2試合で勝つか引き分けで優勝。129試合目の中日戦は相性がいい上田二朗さん(中日戦8勝1敗)が先発で投げて、リードしてたら江夏さんが投げて優勝投手になるという筋書きなんだと言われていました。ところが江夏さんが先発に。投げると思われていたんですか?
江夏:流れ的に“中日戦で決めよう”と、俺がマウンドに上がったんだ。
掛布:でも、みんな上田さんが先発だったんじゃないかと……、そういう話を聞くんですよね。
江夏:俺が勝手にマウンドに行ったとか、そんなことは一切ないよ。
掛布:監督にしかわからないことなんですね。当時の監督は金田正泰さん。
江夏:金田さんは権限がなかったよね。だって選手に殴られるんだから、それも年に2回も。
掛布:それ、本当ですか!?(一同笑)。
江夏:俺、目の前で2回とも見たもん。監督が「助けてくれ~!」って(笑)。
掛布:たしかに僕が入団した年の名古屋遠征の時、旅館で廊下を走る音と監督の「助けてくれ~!」って声が聞こえました。
田淵:良き時代だよ。