「包丁を持参していた」
唐さんは1940年、東京生まれ。明治大学在学中から俳優として活動し、卒業後の1963年に劇団『シチュエーションの会』(のちの『状況劇場』)を旗揚げした。体に金粉をまぶしてキャバレーを回る「金粉ショー」で活動資金を集めていた唐さんたちが一躍脚光を浴びたのは、1967年の上演だった。
「新宿・花園神社の境内に紅テントを建て、薄暗いテントの中で演者と客が一体となって上演する方式に当時の若者たちは熱狂。社会的弱者の目線から矛盾や悲哀を描く作品は時代の波に乗って一大ブームを起こし、唐さんは寺山修司さんとともにアングラ演劇の旗手と称賛されるようになりました」(演劇関係者)
1969年には東京都の中止命令を無視して新宿西口公園に紅テントを建て、機動隊200人に囲まれてゲリラ上演を敢行した。そうした“伝説”がさらなる熱狂を呼び、「状況劇場」は小林薫(72才)、佐野史郎、六平直政(70才)らいまも第一線で活躍する俳優を輩出した。一方で唐さんの破天荒なエピソードも数知れない。
「劇団員を引き連れて寺山さんの劇団『天井桟敷』を襲撃したり、作家の野坂昭如さんと包丁片手に大立ち回りするなど、数々の武勇伝を誇ります。退団する小林薫さんを説得する際も、唐さんは包丁を持参していたそうです」(前出・演劇関係者)
そんな演劇界の鬼才の庇護で大きく成長したのが宮沢だ。11才でモデルとしてデビューした宮沢は『三井のリハウス』のCMで注目されて女優の道に進んだが、その後、世間を騒がせたのはヘアヌード写真集『Santa Fe』の発売や前述した貴ノ花との婚約解消で、騒動の際は「女優としてのピークを過ぎた」というバッシングも受けた。
苦境の彼女が救いを求めたのがアングラ演劇だった。
「唐さん脚本の『緑の果て』に出演した際、演出家などからアングラ演劇の話を聞いたりえさんは、生きづらい人間への愛情があふれるアングラの世界に魅了され、お忍びで紅テントを訪れるようになりました。実際に唐さんの舞台に立つ機会を得ると、難解な作品の解釈やせりふ回し、間の取り方や表現法などを吸収。
彼女は蜷川幸雄さんや野田秀樹さんら大物演出家に愛されましたが、なかでも唐さんは最大の恩人と言っていい。唐さんは厳しい指導で知られますが、りえさんはほとんど怒られたことがないそうです」(前出・舞台関係者)
唐さんの導きはステージ上にとどまらない。宮沢は唐さんの舞台『ビニールの城』で初共演した森田剛(45才)と2018年に再婚し、現在は一緒に独立して事務所を構える。夫婦関係は良好で、宮沢の連れ子と森田が友達のようにじゃれ合う姿を本誌『女性セブン』は何度も目撃している。まさに公私両面で唐さんは宮沢の恩人なのだ。
「常に観察の人であったといわれる唐さんが鋭く見抜いた通り、りえさんの女優としての力量は確かなもので、現在は演劇界のミューズとして数々の作品に引っ張りだこです。だからこそ唐さんの作品と出会えたことは、りえさんにとって“人生最高の宝物”。もう恩人からラブレターが届かないのは寂しいことでしょうね」(前出・舞台関係者)
唐さんが示した演劇への“激情”は、宮沢をはじめ彼が愛した後輩たちが大切に大切に、受け継いでいくはずだ。
※女性セブン2024年5月23日号