ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十三話「大日本帝国の確立VIII」、「常任理事国・大日本帝国 その13」をお届けする(第1418回)。
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前回からこの稿を続けるなら、インド独立の闘士ラス・ビハリ・ボースが日本から退去を求められた一九一五年(大正4)十二月の時点から始めるべきなのだが、ここでちょっと脇道に逸れることをお許しいただきたい。最近「脇道」ばかりではないかと古くからの読者には言われそうだが、今回は正確に言えば「脇道に逸れる」よりは「本道に戻る」のである。そうするきっかけは、前回を読んだ若い読者から「なぜ戦前の大日本帝国ですら権力が一本化されていなかったのですか?」という質問があったからだ。
たしかに、このことは世界史の世界の常識から見たらあり得ないことだ。大日本帝国は世界の一般常識から言えば天皇を頂点とした独裁国家であり、独裁国家であるがゆえに「意思決定能力が薄弱」などということはあり得ない。しかし大日本帝国は実際にはそういう国家であり、そうであったからこそ東京裁判でも天皇の責任は問うことが困難だった。それどころか戦争責任自体が明確に断罪されること無く、いわゆる「戦犯」の処分ですべてがうやむやになってしまった。これは日本史特有の問題である。なぜなら、日本以外の世界ではこんなことが起こり得ないからだ。
そして「なぜそうなるか」は、この『逆説の日本史』シリーズをとおして、それこそ古代から現代に至るまでのメインテーマであり、ゆえに「本道」なのだが、その解明については早い段階ですでに終了している。前回述べたように、本連載は一九九二年(平成4)に始まったのだが、連載開始から数年間にわたるテーマはまさにそれであった。「日本はなぜ独裁国家にならないのか」あるいは「意思決定能力が薄弱なのか」ということである。そして、それについてはすでに明確な回答を出したつもりである。
しかし、ここもひょっとしたら「逆説シリーズの問題点」になるかもしれないのだが、私はそれをすでに解明し読者に提示しているから説明は不要だと思っている。同じことの繰り返しになるからだ。しかし、考えてみれば連載が始まったのは三十二年も前なのだから、若い読者つまり二十代、三十代の読者にはこの「解明」は読まれていないし、 四十代の読者もまだ未成年であったから読んだ人は少ないだろう。つまり、いまでは連載開始から数年間で読者に提示した「解明」を知らない人のほうが多い、ということだ。
にもかかわらず、私は一人で古代から現代まで歴史を書いているがゆえに、当然この「解明」をすべての読者が理解しているだろうと錯覚してしまう。問題点というのはまさにそこで、連載開始当初からの読者(残念ながらいまや少数派かもしれないが)にとってはまさに繰り返しになってしまうのだが、時々私にとっては自明のことをもう一度読者に説明する必要がある、ということだ。
この「なぜ戦前の大日本帝国ですら権力が一本化されていなかったのですか?」という疑問に対して一言で回答すれば、日本人は聖徳太子の「十七条憲法」で明確に指摘されているように、すべてを「話し合いで解決することによって」争いを無くし、「和を保つ」ことを最優先とする民族だからだ、ということになる。