そうして2010年、47才のときにシングルファーザーになった坂本。歌手活動と子育ての両立には苦労も多かった。
「生活のためにライブを減らすわけにはいきませんから、夜遅くに帰ってきてから家事をして、朝は寝不足で子供たちのお弁当作り。で、ライブをこなして、また深夜に仮眠を取りつつ家事といった生活リズムでした。
でも、疲れている様子はできるだけ子供たちには見せたくないな、と。悲しい経験をさせてしまったからこそ、明るい子に育てようと必死でした」
子供たちや学校の情報を少しでも多く得ようと、ママ友を作り、PTA活動にも参加した。懸命に親の務めを果たそうとした坂本には、忘れられない記憶がある。
「長女のお友だちのお母さんから、“お弁当、隠しながら食べているよ”と教えてもらったんです。あまり料理はしてこなかったからですが、『ご飯とお肉』みたいなお弁当ばかりだったんですよね。長男はそれで満足していたようですが、長女は違った。恥ずかしい思いをさせてしまったと、愕然としました。それからは、キャラ弁というわけにはいきませんでしたが、かわいいお弁当箱を買って、できるだけ彩りのあるメニューにしました。
男親ですから、成長途中では長女との関係性にも難しいことはありましたよ。ただ、至らないことばかりだったでしょうが、“お父さんはお父さんなりに頑張っている”ってことはわかってくれていたんでしょうね。長男もそうですが、ケンカというケンカは親子でしたことがありませんし、成人した今でも、頻繁に連絡を寄こしてくれます」
坂本のブレークには、そうした子供たちの支えもあった。
「去年3月にTikTokを始めてから、“あの動画はおもしろかった”とか“こんな動画ならバズるんじゃない?”って、いろいろアドバイスを送ってくれます。2才の孫は、僕の動画の振り付けがお気に入りで、いつも動画を見ては踊ってくれているんですよ」
苦節30年でのやっとのブレークだが、夢は無限大だ。
「TikTokの1億再生も目指しますし、紅白歌合戦にも出たいですし、世界にも進出したい! やりたいことは山ほどあります。1日でも長くライブをして、1人でも多くの人に応援してもらえる歌手でい続けたいですね」