1999年に自民党と公明党が連立を組んでから、25年が過ぎようとしている。政策的には反発と妥協を繰り返しながら、“選挙で勝つ”を最大の目的に繋がってきた自公だが、その関係についに、決定的な亀裂が走ろうとしている──。
政治資金規正法の改正案づくりで自公が条文をめぐって対立し、自民党が単独で改正案を提出。自公が連立を組んで以降、重要法案では初めての事態だ。元公明党幹部が語る。
「岸田(文雄)首相は公明党の忠告に聞く耳を持たない。連立離脱の話になってもおかしくないくらいの問題です」
公明党動かず「保守王国」で自民党候補大敗
そうしたなか、公明党より先に支持母体である創価学会の「自民党離れ」も見て取れる。自民党にとっては重要な選挙の集票マシンの機能不全だが、それが明らかになったのは、今年4月の衆院島根1区補選だ。
同補選では公明党は告示日前日になって自民党候補の推薦を決めたが、山口那津男・代表は会見で「応援入りの予定はない」と突き放した。岸田首相が応援入りした時も、山口代表や石井啓一・幹事長の姿はなかった。
その結果、自民党が過去議席を失ったことがなかった「保守王国」で自民党候補は大敗した。
島根の公明党の選挙活動家は「組織は全く動かなかった」とこう語る。
「島根1区の公明票は約2万票とされる。当選した立憲民主党と敗れた自民党新人の得票差は約2万5000票だったから、公明票がフル稼動していたら接戦に持ち込むことができたはずだ。
しかし、前回選挙で自民党候補のポスター貼りを手伝ってくれた人にも今回は『絶対嫌だ』と断わられ、公明党のコアな支持層まで“今回は自民党にお灸を据える”と野党候補に流れた。会社経営者など票をまとめる力がある人たちも“投票に行きたくな”と棄権していた。たとえ亡くなった細田博之・前衆院議長が出馬していたとしても公明票は入らなかったと思う」