九州の指定暴力団である道仁会(福岡県久留米市)と浪川会(福岡県大牟田市)のトップが、突然引退を発表した。2組織は2006年から約7年間にわたって一般人1人を含む14人の死者を出す熾烈な抗争を行ない、一般人を恐怖に陥れた。不倶戴天の2組織のトップがなぜ同時に引退することになったのか。暴力団取材の第一人者・鈴木智彦氏がレポートする。
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通常、暴力団組織の支配者は、終生トップの椅子に座り続け、死ぬまで引退しない。加えて両名とも、求心力を失って座を追われた訳でもない。身を引く必然がないのに絶頂期に引退する……30年近く暴力団取材を続けてきた私にも、ちょっと解せない事態だ。事実、こうした形の引退劇は、これまでの暴力団社会に類型がなかった。
道仁会四代目・小林哲治会長は、業界きっての実力者だった。これまで何度も暴力団社会の難題を仲裁・取り持ちしてきた。
「組織と組織の間に立てる親分は限られている。実力が必須なのはもちろん、業界全体が認める実績が必要になる」(広域団体幹部)
暴力団は「殺られたら殺り返す」という弱肉強食の掟を信奉している。実績とはすなわち抗争経験を意味する。喧嘩の出来ない親分はどこまでも舐められ、弱い暴力団には一切の発言権がない。
道仁会の歴史は抗争の連続だ。そのため暴力団たちは道仁会を畏敬し、そのトップに時の氏神を託すようになった。
一方の浪川会・浪川政浩総裁も、暴力闘争の渦中に生きてきた。最大の試練は道仁会との分裂抗争だったろう。
2006年6月、道仁会の三代目人事を巡って村上一家や永石組らが離脱し、新団体である九州誠道会を立ち上げた。ほどなくして道仁会と誠道会は激しい抗争に突入する。