「どやさ」のギャグで知られる漫才コンビ「今いくよ・くるよ」の今くるよさんが亡くなった。親交のあったコラムニストで放送作家の山田美保子さんが、くるよさんとの思い出を綴る。
深夜の焼き肉屋で尋常ではない量のお肉を注文
上方を代表する女性漫才師・今くるよさん(本名・酒井スエ子)が5月27日、膵がんのため大阪市内の病院で亡くなられたことを翌28日、所属の吉本興業が発表しました。享年76でした。
そして5月27日という日は最愛の相方で、2015年に67才で亡くなられた今いくよさん(本名・里谷正子)のご命日の前日だったと知り、胸が締め付けられました。
私が駆け出しの放送作家だった頃、いくよさん、くるよさん(以下、“いくくる”さん)にはよくご飯をごちそうになったものです。
新卒後、ラジオ局でリポーターを5年した後、いろいろあって(!)、ライターと放送作家、それぞれの師匠に弟子入りをしたのは30才直前のことでした。
当時、公私にわたって、いちばん仲よくさせてもらっていたのは吉本興業が制作部門で採用した女性第一号の社員さん。放送作家の師匠・長谷川勝士にくっついて、アシスタント作家のようだった私が担当していた『三枝・やすしの花マル家族』(テレビ東京系)に吉本側のプロデューサーのひとりとして入っていた彼女が、「若い女性の意見をもっと聞いてみたい」と声をかけてくれたのが出会いでした。
私より数才も年下だったのですが、ものすごくパワフルな女性で、それこそ現場に“若い女性”の声を取り入れようと日々本当にがんばっていらした……。
そんな彼女に付いて吉本の芸人さんが出る劇場や番組を見に行っていたとき、出会ったのが“いくくる”さんのお二人でした。
くるよさんが亡くなられたとき、ハイヒールモモコさん(60才)が「当時は少なかった女漫才師を可愛がってくれはって……」とInstagramに綴っていらっしゃいましたが、さらに少なかった女性スタッフのことも“いくくる”さんはかわいがってくださいました。
それまで私がほとんど行ったことがなかった焼き肉屋さんで夜の11時過ぎなのに尋常ではない量のお肉を注文してくださって、しかも焼いてくださりながら、「食べよし」と繰り返し言っていただいたことは大切な思い出です。
私がどれだけ吉本のお笑いが好きかを熱苦しく語りまくった際にも、笑顔でうなずいてくださったり、「山田ちゃん、おもろいなぁ」と、くるよさんから言っていただいたことはいまも宝物です。
くるよさんの通夜や告別式に「女性芸人の後輩が多かった」というスポーツ紙の記事を見ました。その一文だけで、くるよさんが多くの女性芸人の憧れの的であり、道を開いてくださった恩人であり、面倒見のいい優しい先輩だったことがわかります。