宝塚歌劇団の男役トップスターとして多くのファンを魅了した安奈淳。退団後も華やかな舞台で歌い、演じ、軽やかにステップを刻み続けてきた。今年の7月で77才、喜寿を迎えるいまも、真っ赤なルージュと艶やかな衣装で熱唱するその姿に、多くの人はスターとしての輝かしい経歴を思うだろう。しかし安奈の人生は、30代でC型肝炎を患ってから病との闘いの連続だった──。【全3回の第2回。第1回から読む】
40代後半になると、血流の悪さから指先が真っ白になるレイノー症状や全身の関節痛、手首や指の腫れに悩まされるようになる。
「それでもまだ深刻な病気とは思わずに、民間療法による体質改善で何とかなると考えていました。周りの人は何度も忠告してくれたのに、聞く耳を持たず……。本当に愚かなことでした」(安奈淳・以下同)
そし2000年の春、53才を前にいよいよそのときは訪れる。体のむくみが悪化して、足はまるで象の足のように腫れあがり、呼吸も苦しくなった。むくみがひどすぎて人前に出られず、テレビ番組などは降板するまでになった。
「静岡県熱海市にあった整体の先生のお宅に長逗留して体を見てもらいましたが、症状は改善しませんでした。
とにかく喉が渇いてジンジャーエールをがぶ飲みするのですが、なぜか水分がまったく排泄されない。体にたまった水分は手足をむくませ、肺や心臓にまで水がたまって呼吸困難に。水中でおぼれているような状態になったのです」
熱海の整体の先生もこのままではまずいと安奈を説得。そこでようやく病院に行く決心をする。以前から、「困ったら私の病院へいらっしゃい」と言ってくれていた医師を頼り、熱海から東京へ救急タクシーを走らせた。
「昼の12時に熱海を出て、病院に着いたのは16時。私は間もなく気を失って危篤状態に。駆け付けた友人たちは医師から、“98%助からない。今夜がやまです”と告げられ、葬儀の準備を考えたそうです」
しかし3日後、安奈は奇跡的に目覚める。すると主治医は、
「あと1時間病院に着くのが遅かったら命はなかったでしょう」
と言った。体にたまった水分(尿)を抜くのに10日ほどかかり、すべて抜いてみると、60kg以上あった体重は、32kgにまで減った。
「このときの病名は膠原病(全身性エリテマトーデス)。レイノー症状も関節痛も、膠原病によって全身の免疫力が落ちて発症したものでした。
現在は全身性エリテマトーデスの患者さんが日本に数万人いるとされていますが、当時はほとんど知られていませんでした」