「最初に食べたご馳走はなんですか?」。子供の頃に母が作ってくれた料理、上京したときのレストラン、初任給で行った高級店……。著名人の記憶に刻まれている「初めて食べた忘れられない味」を語ってもらい、証言をもとに料理を再現するこの企画。今回は南果歩さんに、忘れられないご馳走を教えていただきました。
映画『伽耶子のために』で、主演デビューを飾ったのは19才の頃。以来、作品に出続け、近年ではApple TVのドラマ『PACHINKO パチンコ』や、フィリピン映画界の巨匠ブリランテ・メンドーサ監督作『義足のボクサー GENSAN PUNCH』など、世界を舞台にさまざまな表現に挑んでいる南果歩さん。笑顔と感謝を絶やさない自由闊達な感性を育んだのは、南さんが愛して止まない家族だった──。
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もともとは、ゆとりのある暮らしでした。大きな平屋建ての家に父と母、4人の姉と末っ子の私。教育熱心な母は、姉たちにたくさんの習い事をさせていました。ピアノやバレエ、習字にそろばん。
けれど私が幼稚園に入った頃から、父が経営する会社が傾き始め、小学2年生のときに倒産。飼い犬と庭で遊んだり、姉のピアノ伴奏に合わせて合唱していた一軒家から、お風呂もないアパートへ引っ越すことになりました。といっても、その小さな“文化住宅”で全員が暮らすことはできませんので、家族はバラバラに生活することに。母は必死に働き、わずか1年半後にはお風呂のついた部屋を借りて、私たち5人姉妹はふたたび一緒になりました。けれど、そこに父の姿はありませんでした。
生家を出てから約3年、私が小学5年生の頃からでしょうか。母の商いがようやく軌道に乗り、月に一度、いえ最初は数か月に一度くらい、皆で外食できるようになりました。