お笑い芸人がお茶の間に届けてくれる笑いには人を元気にするパワーがある。だが、その笑いにふと違和感を覚えることもあるだろう。時代の変化とともに、その違和感を敏感に察知し、生き残ってきた女性芸人の生き様をひもとくと、その先に時代が見えてくる──。【前後編の前編。後編を読む】
訃報が伝えられたその日は、相方の命日だった。5月27日、漫才師の今くるよさんが膵がんのため亡くなった。76才だった。
くるよさんは1970年に島田洋之介・今喜多代に弟子入りし、その後、高校のソフトボール部の同級生だった今いくよさんと「今いくよ・くるよ」を結成。お互いのファッションをけなし合うなど、テンポのよい掛け合いが全国的な人気を呼び、くるよさんの「どやさ!」というギャグは一世を風靡し、老若男女に浸透した。2015年にいくよさん(享年67)が胃がんで急死したのち、くるよさんはピンで活動していたが相方を失った寂しさを常に口にしていたという。
1980年代の漫才ブームをけん引し、女性漫才師のパイオニアとして多方面で活躍したくるよさんの旅立ちには、お笑い界からも追悼の声があがる。
「女芸人には特別にやさしくしてくれる師匠でした」
神妙な表情を浮かべて偲ぶのは、吉本興業の後輩女芸人である島田珠代(54才)だ。
「毎年3月には、女芸人が数十人集まる『ひな祭りの会』を開いて大盤振る舞いしてくれました。誰よりもお笑いが好きで後輩にも説法を説くのではなく、すべて冗談にして教えてくれた。ひとりで楽屋を盛り上げるパワーもすごく、本当に理想の女芸人でした」
吉本興業が発表したいくよさんの「訃報のお知らせ」には次の一文があった。
《細身で濃いめのメークとつけまつげがトレードマークのいくよと、ふくよかな体系に派手な衣装のくるよがお互いのルックスやファッションなどをネタに、体を張った軽妙な掛け合いで人気を集めました》(原文ママ)
自らの体形や容姿を笑いに変え、お茶の間を明るく元気にしてきた今いくよ・くるよ。ひとつの時代が幕を下ろす中、女芸人たちはどこから来て、どこへ向かうのだろうか。