将棋界初の八冠独占は「254日」で幕を下ろした。第9期叡王戦では、藤井聡太八冠(21)との激戦の末に、伊藤匠・新叡王(21)が誕生した。最終第5局までもつれる勝負を繰り広げた2人は同級生。その因縁は12年前に遡る。この数年、プロ棋士のなかでも敵なしの状態だった藤井七冠を“泣かせた”という逸話を持つのが、伊藤叡王なのだ。
当時9歳だった2人は、2012年1月に「第9回小学館学年誌杯争奪全国小学生将棋大会」の小学3年生の部の準決勝で対局している。舞台となったのは、東京・神保町にある小学館本社の裏に建つ一ツ橋センタービルの12階。勝負に敗れた藤井少年は、会場に響き渡るほどの声をあげて泣いた。
伊藤叡王が“藤井聡太を泣かせた男”であるというこのエピソードは、将棋ファンの間でも広く知られている。ただ、藤井少年は準決勝で敗れた後、目を赤らめたまま3位決定戦に臨み、勝利した。そして、悔しさをバネに強くなった。14歳でプロ棋士になり、その後の快進撃は周知の通りだ。
“再独占”は羽生善治九段もできなかったこと
一方の伊藤叡王は、遅れること3年、17歳でプロとなった。その頃、すでに藤井七冠は初タイトルを獲得していた。将棋ライター・松本博文氏が言う。
「伊藤叡王が17歳でプロ棋士になったのは決して遅いわけではなく、むしろ早いほうですが、藤井七冠の出世があまりに早く、その陰に隠れてしまっていた。今回のタイトル獲得にしても、21歳8か月で史上8番目の早さですからね。伊藤叡王も大棋士へのスタートを切ったと言えます。これから、藤井七冠のライバルとして切磋琢磨していくのは間違いないでしょう」
9歳の時に伊藤少年に敗れて涙した後、藤井少年が猛スピードで巻き返したように、今回、叡王戦で敗れた藤井七冠は、タイトルの奪還を目指すことになる。松本氏が言う。
「大きな注目点は、藤井七冠が“八冠に戻れるのか”ということですね。この先、持っているすべてのタイトルを防衛して、1年後に伊藤叡王への挑戦権を獲得して、リターンマッチを制す必要があります。非常に困難な道のりですが、それでも藤井七冠の力をもってすれば可能性はあると思いますね。
独占していたタイトルを1つでも失った後に、再度独占するというのは、羽生善治九段でもできなかったこと。羽生九段は1996年2月、谷川浩司現十七世名人を下して王将を獲得し、七冠を独占しました。しかし同7月には三浦弘行現九段に敗れて棋聖を失いました。挑戦権を目指すトーナメントでは、同い年の森内俊之現九段に敗れて、リターンマッチへの道を断たれています。また谷川十七世名人の巻き返しを受け、竜王と名人も立て続けに失って、1997年6月の段階では四冠に後退しています。その後、五冠にまで戻ることはありましたが、六冠、七冠はなかった。
昭和の最強者である大山康晴十五世名人は、タイトル数が三冠から四冠、五冠と増えていく中で、通算6度の全冠制覇を成し遂げている。いまよりもタイトル戦が少なく、時代背景も異なるので一概に比較はできませんが、タイトルを失ってから5回の復帰を成しえているわけです。囲碁界では井山裕太さん(現・三冠)が全冠から後退した後に復帰したという例があります」