「ストップが早いレフェリー」の矜持
今やJBCを代表する審判員であるマーチンのレフェリーデビューは、四半世紀前の1999年6月5日。ボクシングの聖地・後楽園ホールで14歳の選手同士の対戦だった。
「ジャッジを何試合か担当してから、レフェリーを務めることになったが、ものすごく緊張したのを覚えています。レフェリーに止められて負けた経験が自分にはたくさんあったから、止められる選手の悔しさがよくわかる。でも、選手生命を潰すようなレフェリングは絶対にダメだ。そんなことを考えながらリングに上がりました。
嬉しくて仕方がなかった選手時代のデビュー戦とは違い、人の命を預かる立場ということで、1発のパンチも見逃してはいけない。自分が試合するほうが10倍も20倍も楽だった」(ビニー・マーチン、以下同)
レフェリーには試合を止める権限が与えられている。レフェリーは選手のダメージを見ながら試合をコントロールするが、早めにストップをかければ選手やセコンド、そしてファンからも文句が出る。
審判としてのキャリアはすでに25年を迎えるが、マーチンは「ストップが早いレフェリー」と評されている。
「最初は“早すぎる!”とかなり言われました。私もボクサーをやっていた時に“まだ闘えるのに、なぜ止めるんだ!”と思った試合はあります。ただ、現役を引退してからの人生のほうが長い。審判員を始めて半年ぐらいした頃から“レフェリーは選手の命を守らないといけない”と強く思うようになりましたね」
マーチンによれば、「ストップされた選手はあまり文句を言わない」という。ファンも言わない。激しいクレームをつけるのはセコンドだ。
「選手に試合を続けさせてやりたいという気持ちはわかります。レフェリーをやっていて、そこが一番難しかったですね。(ボクシングに関する著作が多い)作家でスポーツライターの佐瀬稔さんは『遅すぎるストップはあっても、早すぎるストップはない』と話していましたが、すばらしい表現だと思います」
レフェリーを長く続けていくうちに、その考え方に自信がついた。トップ選手だったからこそ、目の前にいるボクサーのダメージがわかる。
「判断が難しいのはダウンのカウントです。8カウントで立ち上がった選手のグローブを持ってファイティングポーズを取らせます。でも腕に力が入っていない、あるいは目線が定まっていないようなら、私が2歩ステップバックして、“こっちに歩いてこい”とジェスチャーします。選手が1歩、2歩と進んでもう一度ファイティングポーズを取れば続行させますが、少しでもグラッとしたら無理をさせない。セコンドは“まだできる! 続けさせろ!”と怒鳴るかもしれませんが、私は躊躇なく試合をストップさせます」