正しい振る舞いを正しく認識することは案外難しいものである。コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。
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何を「当たり前のマナー」と感じるかは、人それぞれ。そして人間は、誰かから「あなたがやっているその行為はマナー違反だよ」と指摘されると、反射的に激しい反発を覚える習性があります。ムキになって自分を正当化しようともします。
それがどんなに常識的な内容でも、素直に受け止めて「ありがとうございます。勉強になりました」と感謝できる人は多くありません。「すべての場面で当てはまるわけじゃない」と苦しい反論を並べたり、教えた側の言い方に文句を付けてきたり……。知らなかったことや気付かなかったことよりも、そっちのほうがよっぽどみっともないのに。
たしかに「当たり前」や「常識」は、人によってさまざまです。しかし、それを言い出したらキリがありません。私たちは日常生活の個々の場面において、ひとりひとりが「多くの人が不快と感じないであろうやり方」を模索し合って、何となくの共通認識を「当たり前のマナー」としています。
このところ激しい論争となっているのが、ラーメン店での「イヤホン」をめぐる論争。きっかけは6月下旬に人気ラーメン店の店主がSNSに、店内でイヤホンをつけるのをやめてほしいと問題提起をしたことでした。
お客さんにラーメンのお好みを尋ねても聞こえてなかったり、ラーメンを出すときに声をかけても聞こえてないから受け取ってくれなかったりするというのが、その理由。イヤホンをつけて動画を見ながらラーメンを食べているので、店の回転が悪くなるとも。
お店としては、お客さんが聞こえていないと、聞き直したり身振り手振りで知らせたりしなければならなりません。並んでいるお客さんがいると、心の中で「食べ終わったんなら、早く席をあけてくれないかな。言ったほうがいいかな……」と激しく悩まされそうです。それが日々繰り返されるのは、さぞ大きなストレスでしょう。
問題提起に対する反応から見えてくる世の中や人間の「多様性」
この投稿はたちまちネット上で大きな話題になり、同業者から共感と応援の声が寄せられたり、テレビのワイドショーで取り上げられたりもしました。おそらく、この「イヤホン論争」を知ったほとんどの人は、「ああ、そりゃお店に迷惑だな。人と話をする必要があるときには、イヤホンを外すのが当然のマナーだよね」と感じたことでしょう。
しかし、それを「当然のマナー」と受け止める人ばかりではないのが、世の中や人間の「多様性」です。そして、自分では思いもよらない意見が頼みもしないのに可視化されるのが、ネット社会のありがたくも厄介な特性です。
「客がどんなふうにラーメンを食べようと自由だ」(食べる前の段階で、店員さんの話をちゃんと聞いてほしいという話なのに)
「店側の都合を押しつけるな」(ほかのお客さんの迷惑も少しは想像しろって話なのに)