「最初に食べたご馳走はなんですか?」。子供の頃に母が作ってくれた料理、上京したときのレストラン、初任給で行った高級店……。著名人の記憶に刻まれている「初めて食べた忘れられない味」を語ってもらい、証言をもとに料理を再現するこの企画。
トレンディードラマへの出演でお茶の間を沸かせながら、映画『海と毒薬』をはじめとした熊井啓監督作で、海外にもその名をとどろかせた奥田瑛二さん。役者としてだけでなく、自らメガホンを取った映画『長い散歩』では、モントリオール世界映画祭グランプリを受賞するなど、多岐にわたって活躍している。そんな彼の心の支えになった母のご馳走に隠された、驚きの秘密とは? 奥田さんが忘れられないご馳走を振り返ります。
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誕生日も血液型も同じ年子の姉がいたので、ぼくは幼い頃からお姉ちゃん子で、それ以上にお母ちゃん子でした。遊ぶときには、お姉ちゃんのスカートの裾を握りしめてくっついて回り、学校から帰ったら「お母ちゃんはどこにおる!」の大騒ぎ。
両親は、自宅の1階で小さな氷屋と喫茶店を営んでいたので、家は賑やかでした。住み込みのウエーターさんもいたし、営業が終わると、地元の青年会議所のメンバーたちがやってきて酒を片手に議論したり。親父も議論に参加していて、おふくろは皆につまみを作り続けていました。
貧しさは感じていませんでしたが、裕福でないことは子供にもわかります。姉とぼくは生家で育ちましたが、4つ下の弟は祖母の家で暮らしていました。家の前の肉屋でおふくろが買うのは基本的にかしわ(鶏肉)、たまにコロッケ。初めて牛肉を食べたのは、親父が新たに始めた不動産業が軌道に乗った小学5年生のときでした。
物心ついた頃から、姉と2人で楽しみにしていたのが、年に2回だけのライスカレーです。3月18日の誕生日とクリスマスだけのご馳走。茶碗にご飯をぎっしり詰めて、皿の上にひっくり返してポン。丸いご飯に半分だけかかるように、黄色いカレーをとろり。