自分を演じ分けることができる
先輩芸人に対する敬意のなさ、または仲間との協調性のなさ、自分勝手……。 だがそれは粗品のほんの一面にしかすぎない。
例えば自分の冠コーナー『粗品ゲーム』では意外とそつなく進行したり、『FNS逃走中』でも、いかに『逃走中』のファンだったかを独自の視点で熱く語っていた。他にも審査員を務めた『ハモネプ』の審査では、大好きな音楽への造詣の深さが分かるような、冷静な評価をしている。つまりそうした自ら火の輪をくぐりに行くような炎上気質とは裏腹に、自分を演じ分けることができるのが粗品なのだ。
また同『27時間テレビ』の中では、長田から、『新しいカギ』メンバーでこの番組を担当できたことについて、粗品と2人で「ここまで来れた」と泣いたこともバラされている。スタート当初は視聴率が振るわず、演者もスタッフもピリピリしていたという『新しいカギ』。「学校かくれんぼ」という鉱脈で人気番組に成長していったのは周知の事実だが、粗品も番組が成長していくまでの裏方の努力を知っているだけに、感慨もひとしおなのだろう。意外と熱い男でもあるのだ。
思えば、彼の姿はどこかかつての島田紳助氏やビートたけしにも重なる。たけしはかつて“欽ちゃん”こと萩本欽一に対して「お笑いのくせに、愛と涙ばっかしやりやがって」「お笑いなのに何にもギャグやんないんだから」などと公然と痛烈批判していた。紳助氏は新人の頃、かなりの生意気だったため、先輩から嫌われ、誰も食事に誘ってくれなかったことを明かしている。
紳助氏とたけしに共通しているのは、世の中の偽善を暴く姿勢だ。「本当は誰しもが心の中で思っている」ようなことを的確に言ってのける、いわば人間の本質をあぶり出すような笑い。今の粗品に両名が持ち得ていた人気と実力があるかどうかはさておき、コンプライアンスに縛られるテレビ界にあって、自由に暴れ回ることができるのは、今や彼だけではないだろうか。もちろん、粗品の舌鋒を全面的に支持するわけでも肩入れするわけでもないが、不快に思う視聴者もいる一方で、喝破することのカタルシス、痛快さもある。テレビの中での発言が生ぬるくなりつつある今、自身のキャリアをも失いかねない危うさを持ち合わせる男から今後も目が離せない。
(ライター・飯山みつる)