《彼のところでしかもう私は速くなれない》──パリ五輪開幕直前の7月11日、競泳の池江璃花子(24才)が初の著書『もう一度、泳ぐ。』を上梓。その本に綴られたのが冒頭の言葉だが、目下、競泳関係者の間では、この《彼》が「池江を変えた」ともっぱらだ。池江のコーチを務めるマイケル・ボール氏である。
白血病から奇跡の復活を遂げた池江だが、メダル獲得へのハードルは低くはない。それでも、ボール氏との絆が再び奇跡を呼ぶ可能性はある。高校生の頃から世界を舞台に戦ってきた池江が、2018年6月から師事してきたのは三木二郎コーチ(41才)だった。
「池江選手側からのオファーでコーチに就任しました。就任2か月後にはアジア大会で6冠に導くなど、三木コーチと池江選手の相性は抜群で、師弟関係は日を追うごとに深まっていきました」(競泳関係者)
ところが2019年1月、その蜜月関係は突然崩れる。池江に白血病が判明したためだった。
「2019年12月に池江選手の所属事務所が退院を発表した際、三木コーチとの契約を解消していることも明かしました。コーチとしてのキャリアが長期的にストップしてしまうことを危惧した池江選手側から、契約解消の提案があったそうです」(前出・競泳関係者)
それでも所属チームで練習に励み、池江は東京五輪出場を果たした。しかし世界の舞台でメダル争いの常連だった彼女にとって、その泳ぎは納得できるものではなかった。
「そこで、パリ五輪に向けて頼ったのがボール氏でした。オーストラリアの名コーチとして知られるボール氏は、2008年の北京五輪以降、担当した選手がすべての五輪でメダルを獲得しています。厳しい指導で知られる一方、甘いマスクの“イケオジ”です。池江選手は2018年と2019年にボール氏の指導を受けたことがあり、選手として高みを目指すために、彼に師事することを決めたのです」(前出・競泳関係者)
昨年10月から池江は単身オーストラリアに渡り、より濃密にボール氏のアドバイスを受けてきた。
「ボール氏は選手との対話を大事にするコーチです。渡豪前の池江選手は、メンタルの問題も抱えていました。ボール氏と対話を繰り返し、不安を感じるたびに、“自分を信じろ”と言い続けられたことで、パリ五輪の切符を手にしました。結果につながったことで、ボール氏への池江選手の心酔ぶりはより顕著になった」(別の競泳関係者)
一方、渡豪したことは池江に別の変化ももたらした。
「池江さんの母・美由紀さんは、幼少から池江さんの“応援団長”でした。闘病中も入院中の池江さんのもとに毎日通って励まし続けました。ところが池江さんの渡豪後は、“池江璃花子の母”としてのSNS発信などを控えるようになった。強くなるためには別れが必要だと、お互いに感じたからこその“決別”だったようです」(美由紀さんの知人)
“母離れ”をして強くなった池江は、信頼を寄せるコーチの言葉を胸に、スタート台に立つ。
※女性セブン2024年8月8・15日号