「キング」──尊敬と親しみを込めてこう呼ばれる三浦知良(57)は、サッカーとともに人生を切り開いてきた。尽きぬ情熱、希望はどこから生まれるのか。現役生活38年目、7月から鈴鹿に復帰した“キング”は肉体と向き合い、走り続ける──。【カズ密着・前後編の後編】
サッカーに対する情熱は昔とまったく変わらない
カズがブラジルから日本に帰国したのは、1990年7月のこと。プロリーグのスタートにあたって、フラグシップとなるカズの存在が必要と懇請されてのことだった。
その後、Jリーグのトップスターとして、日本代表のエースとして、日本サッカーを牽引していく。プレーだけでなく、システムの改善、選手の待遇向上などいち選手の立場ながら次々と変革の狼煙をあげていった。
1994年にアジア選手として初めてイタリアセリエAに挑戦。1997年のアジア地区最終予選ではワールドカップへの出場権を獲得する原動力となる。しかし、1998年のW杯フランス大会直前、メンバーから除外された。「日本をワールドカップに連れていく」と掲げてきたパイオニアの出場は叶わない。
それでも、サッカーへの情熱を一度として失うことなく、指導者としての道を選ぶこともなく、現役プレイヤーであり続けることをひたすら追い求めてきた。
「サッカーに対する情熱は昔とまったく変わらない。練習ゲームでも紅白戦でも、自分が思っていたようなゴールがあげられれば、ああ、まだこういうプレーができるんだ、これぐらい強いキックが左足から出るんだと喜べる。まだ練習も若い選手とまったく同じようにできるし、気力も衰えてない。今は辞める理由が見つからないですよね」