甲子園球場が100周年を迎えたこの夏、第106回全国高等学校野球選手権大会の開幕試合で滋賀学園(滋賀)と戦うのが有田工(佐賀)だ。佐賀県勢といえば、がばい旋風に乗って決勝に進出し、深紅の優勝旗を手にした2007年の佐賀北が記憶にまだ鮮明だろう。伝統校・広陵(広島)に4点をリードされた8回裏に、3番・副島浩史の逆転満塁本塁打が飛び出したシーンは、高校野球史に残る大逆転劇であり、ジャイアントキリングだった。
佐賀北は、夏の全国制覇を遂げた最後の公立校である。しかし、その13年前の1994年にも、全国制覇を遂げた佐賀の公立校があった。田中公士氏が率いて、葉隠れ野球と呼ばれた佐賀商だ。田中氏宅を訪ねると、地元の新聞社が発行した当時のグラフ誌を広げながら、83歳になる田中氏はあの夏を思い返していた。
「本当に奇跡的な出来事でした。うちとしては、ひとつ勝てれば良いという気持ちで甲子園に乗り込みました。佐賀県勢は1回戦で負けることが多くてね。一勝さえできれば、県民のみなさまにも喜んでいただけるだろう、と。全国制覇? もちろん、考えてもいませんよ」
川上哲治を生んだ熊本をはじめ、野球が盛んな九州にあって、佐賀は他県の後塵を拝していた。秋と春の九州大会で、佐賀県勢との対戦が決まると、思わず喜ぶ他県の野球関係者の姿を田中氏は幾度も目撃していたという。しかし、熊本や鹿児島、宮崎などに先んじて夏の全国制覇を遂げた。
「優勝のあと、佐賀県高野連の理事長として九州大会に行くと、『まさか佐賀県に先を越されるとは思っていなかった』と言われたものです(笑)」
1回戦で浜松工(静岡)を下して当初の目標を達成すると、岡山・関西、沖縄・那覇商を下し、準々決勝では北海道の北海を撃破。佐賀県勢がベスト4に残ったのも、実に32年ぶりのこと。さらに長野の佐久(現・佐久長聖)にも勝って決勝に進出した。
「勝ち上がるにつれ、選手たちが自信をつけていった。試合のない日に、練習会場で名門校や伝統校と一緒となると、私は佐賀商の選手と一緒に練習を見学していたんです。すると、うちの選手が言うんですよ。『田中先生、うちとそんなに(力が)変わらん』って。勝つことによって、成長していく。甲子園とはそんな場所ですね」