フワちゃんに罪悪感はなかったのだろう。悪意のある”いじめ”というより、からかい的な”いじり”だったのではないだろうか。自分のキャラを押し出して笑いを取るため、相手をバカにしたのかもしれないが、相手を叩いて、痛がっている様子が面白おかしいドリフターズのギャグやユーモアとは本質が違う。ひな壇に座るお笑いタレントが大御所やMCにいじられて、自身のキャラをアピールできるのとも違う。
“いじめ”と“いじり”の間には境界線があるといわれる。悪意やバカにするという否定的な特徴がないのがいじりであり、人を攻撃せず、相手への好意があり、相手を生かそうとする肯定的なものだ。タレントの有吉弘行さんや、マツコ・デラックスさんのいじりや毒舌はこの類だが、フワちゃんの今回のコメントにはそれがなかった。
ユーモアは罪悪感のない攻撃性を存分に発揮するものだが、笑いの技法でもあるという。ダイヤモンドオンライン、2022年9月14日付の『[精神科医が教える]他人をいじって笑いをとろうとする人の心に隠された意外な共通点』によると、攻撃性が高い人ほど、攻撃性を抑制するために、優れたユーモアセンスを持っているらしい。
こう書いていて、お笑いタレントの明石家さんまさんを思い出した。当代一の優れたユーモアの持ち主は、娘でタレントのIMALUさんが生まれた時、座右の銘である「生きているだけで丸儲け」から、いまると名付けたという。そのエピソードと、やす子の”生きてるだけで偉い”という投稿がリンクする。
今回の騒動を心から後悔し、やす子に謝罪するというフワちゃん。今後の活躍は、ユーモアのセンスが磨けるかどうかにかかっているのではないだろうか。