日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。最終回は、SNSで33万人以上にフォローされる「広島育ちのバズる駐日ジョージア大使」ティムラズ・レジャバさんにうかがった。【全4回の第3回。第1回から読む】
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日本語らしさと言えば、以前、日本語学校の留学生にこう言われたことがある。「英語は汚い言葉もたくさんあるけど、賞賛する言葉もたくさんある。日本語は、汚い言葉も少ないけれど褒め言葉も少ない。会話で使う日本語は、汚い──きれい、の幅が狭いような気がする」と。
その話をすると、「ああ、確かに」と大使はうなずかれた。
「外国語を覚えるに当たって、まず知りたいのは汚い言葉ですよね(笑)。そこが興味の入り口になる。ジョージア人にも『日本語の汚い言葉って何?』と聞かれることがあるんですが、『うーん……「バカ」くらいかな』と答えると『え、それだけ?』と結構がっかりされます(笑)。なので、こう説明します。『日本人はみんなとても礼儀正しいからこそ、「バカ」ってひとこと言うだけでも最大の侮辱になるんだよ』と。彼らはびっくりしますが、感心もします。
褒め言葉が少ないのは、日本が『個』より社会を重視してきたからでもあると思います。日本語は、主観的な言葉が弱い。素晴らしい、と言ったとしても、それはその人の主観が強く出ているというより、一般的な評価を含んだ表現ですよね。相手のことを良く言いたい、褒めたいと思うと、なにかプライベートな感じが出てしまったり、過剰な親密さがあらわれてしまったりするのじゃないかと考えて悩んでしまう。最適な言葉が見つからず、もどかしく思うこともあります」
そう、特に意見や評価を端的に言いたいとき、日本語はちょっと不自由だな、バリエーションが少ないなと感じることがわたしにもある。たとえば映画の感想を聞かれて、悪くなかったと思ったら、それがどんな内容であろうと「面白かった」で済ませてしまえる。「興味深い」も「笑えた」も「考えさせられた」も「面白い」には含まれているから。でも、もっと深い気持ちが心の底には横たわっているはずだ。それを言い表す言葉を、知らないわけではないのに「常備」していないような気がする……。
そんなことを少し話したら、大使はこうおっしゃった。
「だからこそ日本には、いろんな場面で物が登場するんです」