歴史や哲学、システム工学など異なる分野を編集という手法でつなぐ「編集工学」を提唱した著述家の松岡正剛氏がこの世を去った。独自の視点で日本文化を論じ続けた“知の巨人”は、2000年からウェブ上で一日一冊ずつ紹介する読書案内『千夜千冊』を開始。その数は1800冊を超え、知の源泉の一端が世に広く開かれている。
本誌「週刊ポスト」では2011年から100回にわたり連載『百辞百物百景』を寄稿いただいた。「氏神」「供養」など日本的なキーワードと、現代日本の様相を鋭く切り取った写真を組み合わせ、文化論や社会論を縦横無尽に展開した。
今回、「週刊ポスト」2013年9月13日号に掲載された同連載の最終回を再掲載。松岡氏が「いちばん大事にしている日本語」をめぐる思索の海に、今一度深く潜ってみたい。
「面影」~日本で一番大事な言葉です~
私がコンセプト・ジャパンとしていちばん大事にしている日本語は「面影」である。NHKで8回にわたって日本文化の特色を歴史的に視覚講義してほしいと頼まれたときも「おもかげの国・うつろいの国」と名付けた。
万葉集に「陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを」という、笠女郎が大伴家持に贈った歌がある。家持が心ならずも陸奥に赴任したとき、笠女郎があなたの姿は都からは見えないけれどその面影はいつも見えていますよと詠んだものだ。その家持が坂上大嬢に贈った歌にも「かくばかり面影にのみ思ほえばいかにかもせむ人目しげくて」とあって、人目があるのでなかなか会えないけれど、面影とはいつも会っていますよと歌っている。
面影は現実の日々を超えてイメージの中で去来するプロフィールなのである。「俤」とも「於母影」とも綴る。人の面影ばかりではない。渡辺京二の名著に『逝きし世の面影』があるように、時代や国や故郷についての面影もある。日本人はこの面影をきわめて重視してきた。その面影が失われることを痛ましく感じてきた。
面影はたんなる記憶像のことではない。胸中にも眼前にも浮かぶ最も大切なコアイメージであり、その束であり、その因果応報である。それを辿れば自分や故郷や国がかつて大切にしてきた“面影ネットワーク”ともいうべきを次々に手繰り寄せることのできるものなのだ。万葉人はそれを歌枕などにも託した。
いま、われわれは日本の大切な面影がどのようなものであったかを、いささか忘れてしまっている。面影の候補はいろいろあるだろう。建設途中の東京タワーであることも、「抜けられません」という看板があった横町であることも、小さいときに習った小鼓であることも、ありうる。では日本人の集団心理としては何が面影になっているのか。
焼跡も琉歌も、幕末維新も室町文化も、静御前もアテルイも面影だったはずだ。そろそろこれらを束ね、つなげた“面影ネットワーク”が浮上すべき時が来ている。
〈御簾(みす)は、神前、宮殿などで使う高級な簾(すだれ)。細く削った竹を赤い絹糸で編み、綾、緞子(どんす)などで縁(へり)をつけたもの。簾には、この縁がつかない。また、簾は日よけに用いるが、御簾は境界に用い、寒風をさえぎり、外見を避ける。一般に普及したのは室町時代。寝室ではひさしの内側、母屋では外側に掛け、御簾内の男女同席は、親密な関係でなければ許されなかった〉