「ひと言で言えば、勝新太郎の演技は豪快で、若山富三郎の演技は繊細。性格も仕事への向き合い方もまるで違う兄弟でした」──こう語るのは、昭和を代表する名優、若山富三郎の長男で俳優の若山騎一郎(59)である。富三郎の弟、勝新太郎は騎一郎の叔父で、女優の中村玉緒は叔母にあたる。祖父の杵屋勝東治は長唄三味線の大家で、母は宝塚歌劇団の男役スターとして活躍した藤原礼子という芸能一家の生まれだ。
「親父は『俺の背中を見ろ』と言うだけで、具体的に何かを教えてくれたことはありませんでした。それでも、誰よりも間近で親父の仕事への姿勢を見てきたし、背中を見て覚えたことはいまも大きな財産になっています。
弟子入りすると『俺が楽屋に入る1時間前には入れ』と言われ、親父が使うファンデーションやペンを用意するところから一日がはじまりました。柱の影から親父が化粧をするのを見て、『なるほどこうやってやるのか』とひとつひとつ目で見て、役者の作法や所作を学んだのです。
一方で勝おじちゃんは『こうやるんだ』、『こういう時はこうだぞ』と、手取り足取り教えてくれたし、優しかったですね。
印象的だったのは、勝おじちゃんの相手の本音や状態を見抜くやり方です。落ち込んでいる人がいると、『おい、飲めよ』とグラスを渡して、ビールの注ぎ方や表情をじっと見る。それで、『お前、相変わらず儲かってる顔してるな』と軽口を叩くのですが、そういう“儀式”を経て、その人の状況に合わせた接し方をするような思慮深いところがありました」
父・富三郎、叔父・新太郎から教わった「芸能」
生後間もなく両親が離婚し、幼少期は父・富三郎と離れて暮らしていた。
「小さい頃は、母から親父は交通事故で死んだと聞かされていました。父の存在には薄々気づいていましたが、役者になることは夢にも思っていませんでした。
父に会って、弟子入りしたのは20歳のとき。それまで優しかった親父は、人が変わったように厳しくなり、毎日のように殴られたものです。親父にしても、子供との接し方に戸惑いがあったんでしょうね。私生活では良い父親を演じようとしたが、弟子の息子がいる父親の役は芝居でも経験したことがない。どうしたらいいか分からないと、周囲に悩みを打ち明けていたそうです」