参議院大阪地方区の補欠選挙が行なわれた1957年、創価学会の参謀室長兼渉外部長だった池田氏らは名刺をつけた百円札を各戸に投げ込んだ戸別訪問の容疑などで逮捕された。
起訴された学会員のうち20人には有罪判決が下ったが、創価学会がこの「大阪事件」に積極的意義を見出すのは、これが池田氏の武勇伝になっているからだ。
いったん罪を認めて拘置所から出た池田氏は、折しも大阪・中之島の市中央公会堂で開かれていた創価学会による抗議集会に来場。「正しい仏法が必ず勝つ」と吼えた。
それが、この年の7月17日のことで、5年後に池田氏と理事長(当時)については、無罪を勝ち取る。“奇跡”を起こす男、池田氏の神話なのだ。
その後、会長に就任すると、1964年には公明党を結党した。国や地方の議会で議席を拡大させ、教団も信者数を急伸させていく。
古参の学会員に池田氏の魅力を尋ねる質問をぶつけると、「池田先生は、庶民の目線で戦う実践を示してきた人。大阪に乗り込んだときの戦いがまさにそれです」という答えが返ってきた。