元日に発生した地震で甚大な被害を受けた石川県の奥能登地域。あれから8か月ほどが経ち、復興も進みつつあったが、9月21日から石川県は記録的な豪雨に襲われていた。9月23日には、河川の氾濫や土砂災害が起きた能登半島3市町で道路が寸断されたことで、集落のおよそ56カ所が孤立状態になっているとの報道もある(23日午後3時時点)。また、死者や行方不明者も出ており、自衛隊のほか、各自治体による救援活動も続いている。地震の被害が大きかった地域の住民たちは今どうしているのか──。
珠洲市仁江町で区長を務めていた中谷久雄さん(69)は、震災時加賀市に避難し、現在は石川県かほく市に身を寄せているという。中谷さんに今回の大雨の被害について聞いた。
「豪雨になる当日の土曜日(21日)、私は元々住んでいた珠洲市仁江町で行なわれる会合に行く予定がありました。かほく市を7時に出て、穴水町に8時に着き、そのまま珠洲市のほうまで車を走らせていたんですが、穴水を出てから20分くらい経ったとき、とてつもない強烈な雨が降ってきました。
9時頃に珠洲市には到着したんですが、この大雨のなかでこのまま車を走らせて山を越えるのは、土砂崩れもあるかもしれないし、かなり危険だなと感じまして、いったん珠洲市役所に避難したんです。でも、みるみる珠洲市役所の外の道路は泥水だらけになってきて、膝の半分くらいまで泥水に浸かっていました。
それから夕方の2時半くらいまで市役所に避難していたんですが、国道に倒壊した杉の木が大量に散乱していて、道が塞がれてしまい、かほく市に帰れなくなってしまったんです。重機が散乱した杉の木や土砂を一生懸命どかす作業をしていました」