人生の機微や哀歓を巧みに表現し、聴く者を魅了した歌姫・ちあきなおみ(77才)が表舞台から姿を消して30年余り。その間、彼女は最愛の夫の死と向き合い、自問自答を続けてきた。そして迎えた9月11日の三十三回忌。頬を伝った涙の理由──。
「長袖の喪服姿の高齢女性には、さぞ厳しい天候だったと思います。9月も中旬だというのに、昼間は35℃近くありましたからね。汗だくになりながらお墓参りをされていたので、体調を心配してしまいました」(墓地を訪れた近隣住民)
9月11日の昼下がり、ビルに囲まれた都心の墓地は、周囲からの照り返しもあり、体感温度は猛暑日に匹敵するほどだったという。そんななか、甲斐甲斐しく墓を掃除していたのは、伝説の歌姫・ちあきなおみだった。
ここには1992年に亡くなった夫・郷エイ(エイは金偏に英)治さん(享年55)が眠る墓がある。ちあきは持参した仏花を手に取ると、一輪供えては見直して、花の位置を入れ替える。何度もはさみを入れて、少しでも見栄えがよくなるように供え直した。
そっと目を閉じて手を合わせた左手の薬指には、46年前に夫と交換した結婚指輪が輝く。
その日は郷さんの三十三回忌。特別な感情がこみ上げたのだろうか。墓参りを終えたちあきは境内を出た直後に、ぴたりと足を止めた。頬を一筋の涙が伝う。その涙をハンカチで拭うと、快晴の空を見上げ、再び歩き始めた──。心中に去来した思いは何だったのか。記者が声をかけると丁寧にお辞儀を返し、「すみません」とだけ答えその場を後にした。
圧倒的な歌唱力と表現力を誇ったちあきの歌声が“消えた”のは、郷さんの死がきっかけだった。ちあきは郷さんの葬儀を終えると「主人の死を冷静に受け止めるには、まだ当分時間が必要かと思います」とコメントして活動を休止した。ちあきの元マネジャーで、『ちあきなおみ 沈黙の理由』(新潮社)の著書がある古賀慎一郎氏が言う。
「亡き郷さんの存在が、ちあきさんのなかで思い出に変わっていくどころか、かえって年々大きくなっているのではないでしょうか。ふたりは夫婦でありながら、ともに戦った“戦友”でもあります。当時、ちあきさんは“私の歌声で郷さんに喜んでほしいの、郷さんに届いてほしい”と口にしていたことを鮮明に覚えています。ちあきさんにとって郷さんは、それほど大切な存在だったんです」