1か月分の雨量がわずか3時間で降るほどの、猛烈な豪雨に見舞われた石川県。多くの河川が氾濫し、死者は9月24日時点で7名。女子中学生が家ごと流されて行方不明になるなど、痛ましい事態に陥っている。
今年元日の能登半島地震に続く苦境に立たされている県内の被災者が、少しでも前向きな希望を持てるように寄り添いたい──愛子さまのそんな思いは、実現することはなかった。愛子さまは9月28〜29日の1泊2日で、石川県に足を運ばれる予定だった。
「今年1月に発生した能登半島地震の復興状況を視察していただきたいという、県側からの願い出を受けてのことでした。天皇皇后両陛下は3月と4月に被災地に足を運ばれており、愛子さまも現地の医療関係者らの活動について説明を受けられる機会がありました。愛子さまは当初から、“被災地に心を寄せたい”というお気持ちを抱かれていたようです」(皇室記者)
愛子さまにとって初めての地方での単独公務が発表されたのは9月20日。ところが、翌21日から県内では雨足が強まり、冒頭のような被害が発生した。宮内庁は3連休が明けた24日に現地の被害状況を確認し、愛子さまの訪問取りやめが決まった。
初の単独地方公務が中止になったことに加え、死者・行方不明者が出ている状況に、愛子さまが心を痛められていることは想像に難くない。振り返れば、今年4月に日本赤十字社(以下、日赤)に就職された愛子さまは、現在、青少年・ボランティア課に勤務。平日はほとんど毎日出社されるなど、多忙なご様子だった。
「毎夏、天皇ご一家で2度静養されるのが慣例となっていましたが、今年は8月の静養は両陛下のみで、愛子さまは同行されませんでした。8月は担当部署の繁忙期で、まとまったお休みを取りにくいという理由があったようです」(前出・皇室記者)
9月中旬の2度目の静養には、ご一家揃って向かわれた。那須御用邸(栃木県)滞在中には「那須どうぶつ王国」に足を運ばれ、鳥のショーをご覧になったり、ラクダに乗られるなどリラックスムードだった。
「ほかの入場者と同じように園内を回られ、一般の人から声をかけられると、両陛下や愛子さまが応じられるというシーンもありました。普通であれば、お声がけはご一家側からされるもの。つい一般の来園者のほうから話しかけたのは、ご一家がオープンな雰囲気をまとわれていたからでしょう」(宮内庁関係者)
愛子さまの被災地訪問が発表されたのは、その静養からの帰京翌日だった。
「就職以降、愛子さまは明らかに仕事優先です。3月に伊勢神宮の訪問などはされましたが、単独公務は5月に皇居から目と鼻の先の国立公文書館を訪れられたのみでした。
公務がいつ本格化するのか、大学ご卒業直後から期待されていたなかで、初の単独地方公務が被災地訪問になったのは、“国民と苦楽を共にする”というこれまでの天皇家の姿勢を踏襲したからだったのでしょう。ただ、残念ながら取りやめにはなりましたが、予定されていた訪問先からは『愛子さまらしさ』が伝わってきました」(前出・皇室記者)
仮設商店街やボランティアの受付会場などを視察され、地元伝統の祭りの再興に向けた取り組みなどについて説明を受けられるはずだった。
「陛下と雅子さまが避難所の被災者への『お見舞い』に重きを置かれるのに対し、愛子さまのご訪問先は『復興』や『再興』を目指す施設などでした。逆境から立ち上がろうとする被災者を、より元気づけたいというお気持ちがあったのでしょう。お若い愛子さまは、元気に再び立ち上がるイメージに重なりますし、何より、支援は愛子さまの日赤での仕事そのもの。能登の『復興』のシンボルのような存在になれたかもしれません。
おひとりでの訪問予定であったことはもちろん、公務が持つ前向きな方向性からも、雅子さまのスタンスから離れて、“私は雅子さまとは違う!”という新たな挑戦をされようとしていたのがわかります」(皇室ジャーナリスト)