坂本さんは昭和32年生まれで私と同じ年だ。そういえば私の通った農業高校でも「親の仕事を継ぐことが嫌で嫌でたまらない」という男たちのグチが渦巻いていたっけ。
親の仕事を嫌った坂本さんは、それを口にすると親が傷つくと思い、気を使った言い方で逃げる。それを承知で逃す親とのやり取りにほろっとくる。
が、そんなものじゃない。屠畜の仕事に嫌々就いた坂本さんの仕事観を変えることになった牛・みいちゃんとの出会い、そして別れは強烈で、みいちゃんの命を終わらせられない坂本さんの心は行きつ戻りつする。
一頭の牛との出会いで、坂本さんの職業観や生命観は大きく変わった。「命をいただいたら、私たちは何をしないといけないのか?」と問いかけ、「お父さん、お母さんと仲よくすること、元気に遊ぶこと、まわりの人を助けること」を掲げる。坂本さんはそんな話を全国の小学生や中学生に伝える講演活動をしているが、「もっとその機会を増やしたい」と言う。
お人柄なんだろうね。坂本さんの話にはウソも誇張もない。気がつくと私の目から汗が吹き出していた。
わが故郷・茨城は養豚大国で、私の通った農業高校には「畜産」という授業があり、屠畜は身近にあった。子供の頃は家の前が養鶏場だったから、鶏のしめ方、手順は知っている。なのに、それを仕事にした人の胸の内は聞いたことがない。聞く機会があるとも思っていなかったんだよね。
「15年前に新聞記事で『いのちをいただく』を知ってから、坂本さんにずっと会いたかったけど、一般人が入れる講演会ってなかなかなかったのよ」と黒柳は言う。
黒柳の家では毎朝卵を産む2羽の雌鶏とチャボを5羽飼っていて、私も翌朝、彼女の家で鶏卵をいただいた。「雌鶏が卵を産まなくなったら? それは私がさばいておいしくいただきますよ」と彼女の娘が当たり前に語れば、「この子の“肉愛”は親の私から見てもハンパないわ」と黒柳は言う。
そりゃあさ、魚は切り身で海に泳いでいないし、豚だって初めからロース肉だったわけではない。牛もA5だのシモフリが最初からできているのではない。みんな誰かが仕事をして私たちの目の前に現れて、それが口に入る。
わかっちゃいるけど、人はきれいごとに弱いんだね。牛一頭からバケツ10杯の血が出ることや、屠畜の直前に暴れる牛がいることなど知りたくないのよ。
坂本さんの話と黒柳家の当たり前が胸にズシンときている自分が本当に情けない。そして、ちゃんと命をいただく人になろうと思い至った。67才、まだまだ知るべきことがあるね!
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2024年10月10日号