「さながら“黒柳徹子美術館”」
田川氏には、黒柳徹子(91才)の所属事務所社長という横顔もある。だからか、その美術館には田川氏が手掛けた黒柳の衣装のほか、黒柳の母・朝さんのコレクションであるビーズのバッグなども展示されている。また、美術館内の売店には黒柳の代名詞であるトットちゃんのイラストが入ったバッグやポーチが並び、「さながら“黒柳徹子美術館”のよう」(芸能関係者)なのだ。
黒柳と皇室の縁は40年以上前から続く。黒柳は1979年、アメリカのろう者劇団による手話劇の日本公演を招聘し、自らも舞台に立った。その公演を、当時皇太子妃だった美智子さまが、上皇さまとご一緒に鑑賞されたのだ。
「当時はいまほど、ろう者や手話への社会的理解がありませんでした。美智子さまは、歌番組の人気司会者として多忙な黒柳さんによるこうした活動に胸を打たれ、終演後には楽屋を訪ね、黒柳さんや出演者に声をかけられたといいます。美智子さまは黒柳さんと、そこから深い交流を始められました」(皇室ジャーナリスト)
黒柳の自伝的小説『窓ぎわのトットちゃん』の大ヒットは出会いから2年後。1982年の春には、園遊会に招待されたこともあった。その後、1984年にアジア人として初めてユニセフ親善大使になった黒柳は、世界各地を訪問しながら、子供や障害のある人を支える活動を行ってきた。
「そうした姿勢に美智子さまは共感され、黒柳さんの活動に労いの気持ちを持たれていたようです。美智子さまと黒柳さんは1学年違いで戦争体験や児童文学への高い関心など共通する部分も多く、波長が合ったのでしょう」(別の宮内庁関係者)
ごく私的な交友ではあったが、2014年5月には、美智子さまの帽子を手掛けてきたデザイナー・平田暁夫さんを送る会で、美智子さまと黒柳が親しげに言葉を交わすシーンがあった。また同年、美智子さまが傘寿を迎えられた際には、黒柳は朝日新聞のインタビューで、日本画家の堀文子さん(享年100)と皇居で美智子さまと歓談したエピソードを明かした。
それから10年が経ち、美智子さまは上皇さまの退位によって、公務から距離をおかれて久しい。一方の黒柳は、いまも冠番組のMCを務めながら、慈善活動・平和活動に引き続き取り組んでいる。そうした活動は、日赤で働く社会人としての愛子さまの「本業」であり、また、これから期待される皇族としての活動と重なる部分も多いのかもしれない。
この秋、総理大臣が交代した。皇室を取り巻く議論が活発化することが期待される。
「細かなことはこれから議論され決まっていくのですが、女性皇族が結婚後も皇室に残るという方向に進んでいくことも充分考えられます。愛子さまが“生涯皇族”となられるのは間もなくでしょう」(前出・皇室記者)
そうなれば、これまでの女性皇族のなさりようが、愛子さまの“モデルケース”になる。
「愛子さまが物心ついたときには、美智子さまは皇后としての務めを果たしておいででした。これから愛子さまに期待される、お若い成年皇族としての姿は、美智子さまのかつてのお振る舞いに学ぶ点は多いでしょう。愛子さまにとっては、美智子さまのこれまでのなさりようをよく知っている黒柳さんも貴重な存在です。
加えて、愛子さまには90才を超えてなお精力的に活動する黒柳さん自身も最高の『お手本』であると同時に、憧れの存在でしょう。今回の美術館訪問で、きらびやかなビーズの衣装だけでなく、黒柳さんのイズムを、美智子さまが繋がれた縁を通して感じ取ろうとされていたのかもしれません」(前出・宮内庁関係者)
密かに足を運ばれた場所で、愛子さまはご自身のお立場に、改めて思いをはせられただろう。
※女性セブン2024年10月17日号