「おかげさまで」という心持ちで他者との分かち合い
「ちょっと話がそれますが、茶の湯にも『木守』という茶碗があります。わび茶を確立した千利休はある時、弟子を集めて自分が焼かせた茶碗を分け与えました。最後に残ったのが、なんの変哲もないシンプルな赤い楽焼(らくやき)の茶碗でした。もしかすると見た目のインパクトがそれほど大きくなかったため、弟子たちが選ばなかったのかもしれません。ひとつ残った茶碗を利休はことのほか愛し、『木守』と名づけて終生そばに置き、生涯最後の茶席でもこの茶碗を使ったと伝わります。
『木守』の例のように、自然への感謝は他者との分かち合いの心に通じます。小さな島国で自然の恵みをいただき、感謝を捧げてきた私たちは、だからこそ『おかげさまで』という言葉に象徴される礼節を生むことができたのでしょう。そこからは、互いに思いやり、『お先にどうぞ』と譲り合う余裕も育まれました。
感謝することは、人間どうしが争わず、助け合いながら暮らしていくための最良の心得。人と人とが互いに思いやる心の根底には、自然の恵みに生かされていることへの感謝、他者への感謝があることを、忘れてはいけないと思うのです」
「ありがとう」は相手の心配りへの返答
道を歩いていて落とし物をした時、後ろを歩いていた人が拾って手渡してくれたとしたら、とっさに「ありがとうございます」とお礼を口にする人はどれくらいいるだろうか。助けてもらった時、お世話になった時、何かを教えてもらった時、むしろ「すみません」と言ってしまうほうが多いかもしれない。