権力を持つと人は変わる、とよく言われる。では、第102代内閣総理大臣となった石破茂氏はどうなるだろうか? かつて記者クラブ独占が当たり前だった大臣記者会見のオープン化を働きかけた記者の一人でもあるライターの小川裕夫氏が、石破氏と記者会見の関係の変化について振り返り、考察する。
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10月1日に発足した石破茂新内閣は、特に目を引くようなサプライズ人事も見当たらず、報道各社の調査では発足直後の割に高くない支持率となっている。自民党を揺るがした裏金問題への対応も右往左往し、石破首相が総裁選中に「すぐに衆議院を解散はしない」といった”公約”を反故したことも支持率低迷の一因だろう。
石破首相は、自民党の地方組織から強い支持を得てきた。その一方、国会議員からは不人気で、党内の支持基盤は弱い。そのため、今回の党役員と閣僚人事は明らかに党内を意識した内向きな印象を残すものになった。この変化は、石破首相が初めて「主流派」になったことと無関係ではない。
「非主流派」だった石破茂は自民党幹事長会見をオープン化した
今回、自民党総裁の座を射止めるまで、石破首相は自民党内でも非主流派として歩んできた。2012年に安倍晋三氏が自民党総裁に返り咲いたとき、自民党ナンバー2ともいえる幹事長に就任して党の要職を得たにも関わらず、非主流派という位置は変わらなかった。
選挙時の報道を思い起こしてもらうと分かりやすいが、主流派でない政治家はメディア露出が激減するので、どれだけ政策を唱えても認知されづらい。そうしたことを意識してか、非主流派だった石破氏は新聞・テレビだけではなく、ネットや雑誌など媒体を問わず多くの取材を受けてきた。また、本来は自民党本部の記者クラブである「平河クラブ」加盟社のみ出席できる幹事長会見をオープン化した。
長らく内閣総理大臣や官房長官、各大臣の定例記者会見は、内閣記者会や財政研究会、総務省記者クラブといった各記者クラブに加盟する報道機関が取り仕切り、そのクラブに所属する記者しか参加できないものだった。そうした記者クラブが記者会見を取り仕切る状態は、旧民主党が政権交代を果たす2009年まで続いていた。すでに新聞やテレビだけが報道機関の時代ではなく、新聞社・通信社・テレビ局だけで組織される記者クラブが会見を独占する状態は、時代遅れではないかという批判されていたが、現実は変わりそうになかった。