来る総選挙は、自民党総裁の石破茂首相と野党第一党・立憲民主党の野田佳彦代表がともに「保守」を自任する政治家としてぶつかり合う。だがこの2人、果たして“本物の保守”なのか。作家の橘玲氏が石破自民の立ち位置について分析する。
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石破茂氏が総裁選前に『保守政治家』と題した本を出版したのは、「保守と右翼の違い」を示したかったからではないか。
この本で石破氏は、「保守」は伝統を重んじつつ、異なる意見も取り入れる寛容さを持つが、「右翼」は愛国を盾にSNSなどで自分と意見の違う者に“反日”のレッテルを貼る集団だと書いている。両者を明確に分けたことは素直に評価したい。
さらに石破氏は、「保守とはリベラルのことである」とも主張する。
18世紀の政治哲学者で「保守思想の父」と呼ばれるエドマンド・バークは、フランス革命を批判し、伝統に基づく漸進主義を提唱したことで知られるが、インドの植民地主義に反対する、当時ではリベラルな思想家だった。
私自身は、「保守」とは試行錯誤の末に積み上げてきた文化や伝統を尊重する立場で、「リベラル」はそれに加えて、他の国で成功した社会実験も積極的に取り入れていこうとする立場だと定義している。夫婦別姓や同性婚は、国際社会では当たり前になったので日本も倣うべきだというのがリベラルの主張になる。
「保守とはリベラル」と言う石破氏は、リベラル政党・立憲民主党の代表でありながら「中道保守」を自任する野田佳彦氏とあまり違いがないように映る。混乱の原因は、政策によっては、自民のほうが立憲民主よりリベラルだからだろう。
たとえば北欧のような社会保障制度を実現しようとすれば、国民をマイナンバーで効率的に管理するしかない。ところが日本では、“リベラル”を自称するメディアや政党が「紙の保険証に戻せ」と大合唱した。リベラルとは本来、科学技術によってより良い社会をつくろうとする進歩主義のはずなのに、日本では高齢者の既得権を守るラッダイト(注:19世紀のイギリスで産業革命による機械化に反対した労働者の機械撲滅運動)になっている。