「お天道様が見ている」が、日本人の行動の本質
神仏に手を合わせるという行為は、誰かに見せるために行うものではなく、神や仏と自分が向き合うこと。そしてそこには、いつも神仏の目があるという。
「神仏のもとでは、他人の目がないからといってゴミを捨てるなどの無作法なふるまいは慎み、たとえ誰も見ていなくても、ちゃんと背筋を伸ばして神仏にご挨拶をし、感謝をしたいものです。
昔からよく言われる『お天道様が見ている』という言葉も、神仏だけでなく自然そのものに対して恥ずかしくない行動をせよという意味です。そこには、自然や神仏に対する絶対的な敬意があります。この敬意があれば、公共の場であっても、誰もいなくても自然や神仏など超越した存在がある…という思いから、無礼な行いをしないよう心がけるはずです。それこそが本来の日本人の行動規範、すなわちふるまいやマナーの本質ではないかと、私は思うのです。
この『敬う』という気持ちは、神仏だけでなく、人にも当てはまります。相手を敬い、尊重する気持ちです。他者の行動を認め、他者の言葉に耳を傾けることで、自らの成長も促されるはずです。
作法やマナーを語る時、『恥をかかないために』という前置きをよく耳にします。もちろん、恥ずかしい思いをしたくないというのは、自分を守る行動であり、持っていて当然の感情です。
しかし、少し考え方を変えてみて、神仏や自然、他人を敬い、尊ぶことを基本にしてみてはどうでしょう。そうすることで、自ずと不快な行動を取ることもなく、誰に対しても心地よいふるまい方ができるようになっていることでしょう。『敬う』という気持ちをこそ、自らの行動を律する根拠としたいのです」