【著者インタビュー】川本三郎さん/『遠い声/浜辺のパラソル 川本三郎掌篇集』/ベルリブロ/2640円
【本の内容】
1987年、1992年、1999年に出版された単行本3冊の中から42編が収録されている。人生の折々を思い出しながら綴ったエッセイのような、詩のような、小説のような、味わい深い余韻が長く残る。《そのころ週に一回、明け方の町を歩くのを楽しみにしていた。(中略)昼間は人と車でいっぱいになる銀座も夜明けの四時、五時には誰もいない、からっぽの町だった》(「始発電車」より)。また別の一編では《八月のなかば、台風が去ったあとの早朝、隅田川に架かる隅田川大橋まで歩いた。仕事で泊まっている人形町の小さなホテルから橋までは歩いて十分ほど。台風のあとの水かさを増した川を見たかった》(「橋からの眺め」より)。著者とともに町を歩くうち、今はなくなった風景への痛惜と郷愁の念がずっしりと響く。
映画や文芸評論で知られる川本三郎さんが、こんな掌編小説を書いておられたとは。新刊は、1980年代後半から1990年代に発表した3冊の本から作品を選び、1冊に編み直されたものだ。
「今年の7月で私は80歳になったんですけど、お祝いに何か本を出しましょうと言っていただいて。文芸評論の本にしようという話も出たんですが、地味なんだけど愛着のある掌編集があるんですよと編集者に話したら読んで気に入ってくれて、この本が出ることになりました。私がこういう掌編を書いてると知らない読者も多いんじゃないかと思うので、これを機に手に取ってもらえれば」
もともとはエッセイを、という原稿依頼だったそうだが、発表から40年ほどたって読むと、エッセイでもあり短編小説でもある、味わい深い作品群である。
「エッセイは短編小説のように書くものだって、たしか山口瞳さんがおっしゃってたんですよね。その言葉がヒントになって、人生のある一日をピンで留めるようにして書いていきました。物書きになって50年近くになりますけど、今の自分に繋がるものがようやく書けるようになったのがこの頃なんです。それまでは、来る仕事を全部、闇雲に引き受けてましたから」
日本がバブル経済に向かい、東京の街が次々、壊され、大きく変貌を遂げる時期でもある。
「私が永井荷風に興味を持って書き始めたのもちょうどバブルの最中なんです。私は昭和19年生まれで、子ども時代の昭和の風景がすごく好きだったのに、それがどんどん壊されていくのが嫌で。なるべく古い昭和が残っているところを歩こう、歩こうとしてたんです」
ピン留めされているのは、たとえば昭和30年代の、少年時代に見た風景である。友だちの名前や身体に残る傷など、子どもの日の記憶は知らず知らず戦争と繋がっているのが印象に残る。
「赤ん坊だったので戦争そのものの記憶はもちろんないですけど、戦争という言葉にリアリティを感じる、最後の世代なんじゃないかと思います。私の10代は、戦争が終わり、焼跡闇市の混乱も収まって、ようやく木漏れ日がさしてきたような時代でした。
『東京ベルエポック』って私は呼んでるんですけど(笑い)、1980年代の下町を歩いていると、自分の子どもの頃の町の様子がまだ残ってたんですね。個人商店が健在で、横丁や路地があって、原っぱや銭湯が残っていて。懐かしさを感じながら歩いていました」