拾った遺骨はどうする予定なのか。
「役所にお渡しします。沖縄に着いたら県庁に行って、ガマで遺骨を拾い集めることの許可をもらおうと思っちょる。ダメと言われたら大分に帰ってくるだけ。ボランティアはさせていただくもんだから、ダメと言われたらやらない。
それは他の場所でも一緒。宿は取らず、テントで宿泊です。ガマの近くで寝ようと思ってます。虫除けのためにビニール袋に穴をあけてそれを被れば、わしの場合どこでも眠れるから」
2年ほど沖縄に滞在して、ガマでの収集活動をしたいと語る尾畠だが、その後は長年抱いていた自身の夢を叶えたいと初めて明かした。
「ボランティア活動を減らして、山を越えたところにある『夜間中学』(編注:大分県教育委は戦後の混乱期に中学校に通えなかった高齢者の学び直しの場などとして開校準備を進めている)に通おうと思っとったんです。私は小学5年生から中学3年生まで、村で一番大きな農家へ奉公に出されとったんですよ。学校も全然行けなくて、その期間の出席日数が4カ月分だったんです」
85歳での引退を撤回した理由は?
「実は、学校の開校が2年後の2026年に延期となり、それまでしばらくはボランティアは続けないかんなと。特にどの科目を勉強したいとかはなくて、普通の中学生がやることを私もやってみたい。同じような体験がしたいんです。やっぱり、10歳から15歳まで奉公に行ってたから、少し未練があるですかね」
目を輝かせて、「夜間中学」への想いを語った85歳の尾畠さんだった──。
(了。前編から読む)