務めを果たされるだけでなく、5人の子供を育てられる母としても尽力されていた。
「5人のお子さまの誕生から20歳まで『暁乃柊』と呼ばれる育児日誌を毎日欠かさずお書きになっていらっしゃいました。その日記を見ると、百合子さまの戦前、戦中、戦後の生活までをうかがい知ることができます。5人の子育てが重なっているにもかかわらず、日誌を書くことできちんと世に残そうという意思をお持ちでした」(同前)
晩年の百合子さまについて宮内庁担当記者はこう話す。
「100歳になっても毎日、漢字の書き取りで脳トレをされていた努力家でいらっしゃいました。今回の入院直前まで、その習慣を続けられていたと聞きます。100歳を過ぎても判断力は極めてクリアでした。宮邸の事務については、すべて百合子さまが判断をされていた。ご自身でしっかりしなければという強い思いをお持ちだったようです」
母親、妻、そして皇族として見事に生涯を全うされた百合子さま。その軌跡は、女性皇族たちの見本として脈々と受け継がれていくだろう。