人生に終わりが見えてきたとき、多くの人は幼い頃に過ごしたふるさとの風景の中にやすらぎを覚えるという。希代の名優として親しまれ、10月17日に突如この世を去った西田敏行さん(享年76)は、晩年の俳優生活が忍苦の中にあったからこそ、より強く故郷を求めていた──。
弔問客がひっきりなしに訪れた死去直後と打って変わって、都内の閑静な住宅街にある西田さんの自宅はひっそりとしていて、時折スタッフが出入りする程度。西田さんの個人事務所の代表を務める妻・寿子さんが、西田さん亡き後の対応を進めている。
西田さんが虚血性心疾患で亡くなってから6日後の10月23日、都内の斎場で葬儀が執り行われた。西田さんと50年来の親友だった松崎しげる(75才)は柴俊夫(77才)らと火葬に立ち会い、お骨上げにも参加。そのときの様子を、11月14日の『ノンストップ!』(フジテレビ系)で涙ながらに明かした。
「(遺骨から)ホチキスみたいな金属がいっぱい出てきて……こんな体で頑張ってたんだ……」
西田さんは2001年に、首の骨が変形して手足のしびれが起きる頸椎症性脊髄症の手術を受けた。2016年には頸椎を亜脱臼して手術を経験。その際、関節や骨を固定するために、チタン製のボルトやプレートを体の中に埋め込んだのだろう。松崎が目にしたのは、火葬の高温でも溶けることのなかった、満身創痍でも堅忍して俳優業を追求し続けた西田さんの“夢の跡”だったのかもしれない。
「そんな状態でも、西田さんは生涯役者でいることを望んでいました。亡くなった当日も、来年1月クールの出演ドラマの打ち合わせが予定されていたそうです」(芸能関係者)
遺骨は故郷・福島に埋葬してほしい
一方で、心筋梗塞や糖尿病など大病を経験した西田さんは、自身の死後に考えを巡らせていたようだ。
「西田さんは生前、近しい人に“遺骨は故郷・福島に埋葬してほしい”という思いを明かしていたそうです」(別の芸能関係者)
福島の郡山市で生まれた西田さん。故郷での日々は決して順風満帆なものではなかった。
「5才で父と死別し、その後、母の再婚のため伯母夫婦に養子に出されました。そして中学卒業と同時に、映画俳優を志し、地元を離れて上京しています」(西田さんの知人)
それだけに望郷の念は人一倍強かったのかもしれない。西田さんは東京に出てからも福島の友人との交流を続け、観光大使を長らく任されるなど地元の盛り上げに一役買った。2011年の東日本大震災でふるさとへの思いは一層強くなった。
「発災から3週間後には被災地に足を運び、被害の大きさを目の当たりにした。自分にできることはないかと悩んだ末、半年後には音楽仲間と共に郡山で野外コンサートを開き、人々を勇気づけました。
その後も折に触れ福島を訪れていましたが、震災から10年以上が経っても復興は道半ば。“生きているうちに、福島の復興を見届けられるかな”と不安に思ったこともあったそうです。故郷に骨を埋めてほしいという思いの背景には、亡くなってもなお、福島の未来を見守りたいという気持ちがあったのではないでしょうか」(前出・別の芸能関係者)
その思いは、残された人たちに着実に受け継がれていく。
※女性セブン2024年12月5日号