当主不在の1年間
著書を多く記し、メディア出演も積極的に行い、皇室のスポークスマンと呼ばれた寛仁親王。彬子さまの現在のご活動は、そのお姿に重なる。
特に今年は、ご自身の英国留学の思い出をまとめた『赤と青のガウン オックスフォード留学記』が、SNSで注目を浴びたことを機に再出版され、30万部を超えるヒットになった。9月には『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演し、新聞や雑誌のインタビュー取材も積極的に受けられている。その認知度の高さは、皇室、あるいは皇族という存在を身近に感じてもらうことに一役買っていることは間違いなく、「三笠宮家の顔」として申し分ないだろう。
皇室においては、当主が亡くなった場合、残された家族が話し合って次の当主を決める。宮内庁はその報告を受けて皇室経済会議を開き、次代当主が正式に決定する。跡継ぎとなる男性皇族がいない場合は、慣例で妻が当主になってきた。
寛仁親王が薨去された際も同様で、信子さまが寛仁親王家を継ぐはずだった。
「ところが、三笠宮さまと百合子さまが彬子さまを当主に推薦された。しかもそれを信子さまは頑なにお認めにならず、議論は平行線。当主不在のまま1年が過ぎ、結局『寛仁親王家』を廃止して、信子さま、彬子さま、瑶子さまが三笠宮家の一員となる形に落ち着かせるしかなかったのです」(前出・皇室記者)
百合子さまの薨去によって三笠宮家当主が失われたことで、またしても当主をめぐる議論が再燃しかねないのだ。
「彬子さまには『私が三笠宮家を背負っている』という自負がおありでしょう。ここ最近のご活躍ぶりを見ても、『私が当主に』というお気持ちも感じられる。それに対し、信子さまは“皇族の居住地”外での生活を続けようとされています。彬子さまが百合子さまの葬儀の喪主を務められることは、そんな信子さまを“排除”した結果にも思えます」(前出・皇室記者)
そうなってしまえば、今後の雪どけは期待できない。
「信子さまと彬子さまはもちろん、瑶子さまもそれぞれ独立した生活を営んでいくしかないでしょう。かねて女性宮家の議論が進められ、女性皇族が独立して宮家の当主になることを受け入れる土壌もできつつあります」(前出・皇室記者)
三笠宮邸に、再び笑い声が響くことはなさそうだ。
※女性セブン2024年12月5日号