山間部の集落がクマの“防波堤”だった
この地区は戦後、満州や朝鮮半島からの引き揚げ者らが開拓した集落だという。以前は人の出入りも頻繁だったようだ。山里の有無によって、クマの行動が異なると明かす。
「集落の人たちはクマとの遭遇も当然のようにあるのですが、人身被害の例がほとんどないのです。先日お会いした方は『クマに歌を教えてあげたよ』と楽しく話していました。また、別の集落の方は『うちではクマが出るの、当たり前だから通報するのはよそから来た人たちなんだ』とも言います。
秋田県のクマ目撃情報サイト『クマダス』を見ても山間部の集落の情報がほとんどないのは、クマを見たからといって通報をしないからです。日常的な光景なのです。山間にある集落では、人間が長い年月をかけてクマとの共存関係を作り上げてきたのでしょう」
だが、秋田県では消滅する集落が今も増え続けている。限界集落どころか、さらにその先の消滅集落の危機にさらされ、たった1世帯という集落も山間部に複数存在するという。
「たとえば、1970年代に鉱山の閉鎖などで集団移転したことで廃村になった集落と、2010年以降に廃村となった集落では性質が異なります。
前者は大きな開拓と造成をして、市街地に近く世帯数も多かった。そのため山と人間の住居の区分が明確でした。後者はより山間側に位置していて、集落は10世帯前後の小規模。わかりやすく言えば、村と山を繋ぐあいだに位置する集落で、もともとはクマの生息エリアでした。
その集落が消滅したことで、クマが人里まで自由に行き来するようになった。見方によっては、山間部の集落が関所のような役割を果たしていたかもしれません」
ある調査によると、秋田県には4000頭以上のクマが生息すると推定されている。
「クマの生息区域が広がっているのは、行政の消滅集落への対処がほとんど何もなされていないことが背景にあると思います。集落が廃墟化すると、草木は荒れ放題で道路に倒れた大木が放置されている場所も珍しくありません。
山間部の集落が廃墟となって荒地となると、山間の管理者も同時にいなくなる。これまで集落に住む方々が山間の管理者として支えていましたが、その管理者がいなくなれば、クマの餌となる木の実などの森林資源も不足します。結果、クマはエリアを広げて餌を探し始めるのです」
この主宰者は秋田市内から車で片道数時間かかる農村を日頃から訪問、交流をライフワークとし、廃墟や廃村の情報を蓄えてきた。村民からの信頼も厚く、自治体よりも先に情報を得ている場合も多々あるという。
クマによる人身被害は、おそらく複合的な要因があるだろうが、消滅集落の放置も一つの原因として挙げられるのではないだろうか。
◆取材・文/加藤慶