「息子くんに寄り添っていた」
私生活で転機が訪れたのは2002年。雑誌の企画で知り合った作家の辻仁成氏(65才)との対話を中山さんは「孤独な魂同士の握手」と表現し、出会った瞬間、恋に落ちたという。
「交際8か月のスピード婚でした。婚姻届を出すときは、母親以外の誰にも告げなかったそうです。芸能界における“ルール違反”とされたため、映画の撮影が中断されたり、CMの契約がストップしたりと仕事に多くの影響が出ましたが、中山さんはひるむことなく、自分の愛を貫こうとしました」(前出・芸能リポーター)
日本の喧噪から逃げるようにして辻氏とフランスに移住した中山さんは2004年にパリで長男を出産。5年近く芸能活動を休止して収入が途絶えると、デビュー以来、自分の資産を管理していた母親と決別。蓄えを取り崩して親子3人の絆を守ろうとした。しかし、幸せな生活は長くは続かなかった。
「2014年に辻さんと離婚した原因はさまざまあるようですが、そのひとつが辻さんの風貌の変化でした。短髪だったヘアスタイルをストレートのロングヘアにして、奇抜なファッションに身を包む彼の姿勢を中山さんは快く思っていなかった。彼女の方から離婚を切り出し、話し合いを重ねた末に辻さんから突き付けられた条件が親権を手放すことだったのです」(別の芸能関係者)
両親の離婚を知った長男は、父親と暮らすことを希望したものの、母親が恋しくて、ぬいぐるみを涙でグショグショにしたこともあったという。日本に戻った中山さんは芸能活動を再開し、再び第一線に返り咲いた。「家族を捨てた」と批判されたが、わが子を思わない日はなかったという。
「息子さんには『いつも愛していることは伝えているし、できるだけそばにいることも伝えています』と語っていました。しかし、辻さんの許可がない限り、お子さんと会うことはできなかったそうで、寂しさを周囲に打ち明けたこともあります。この頃から酒量も増えていったように思います」(前出・別の芸能関係者)
訃報から2日後、辻氏はブログに心境を綴った。
《某月某日、不意の悲しい知らせがあり、昨日は日記をお休みして、一日、祈っていたのである。そして、息子のことが心配なので、昨日はずっと息子君に寄り添っていたのだ(中略)。息子も頑張っているので、そっとそっと、見守ってやって頂けると、まじで、父ちゃんは嬉しいのである》
辻氏との離婚後、中山さんはパリで親しくなった音楽家の渋谷慶一郎氏と同棲したが、けんかが絶えずに破局している。行き場を失った彼女に手を差し伸べた事務所関係者が用意したマンションが、現在の自宅だった。
最後の恋がスクープされたのは2024年元日。ツアーに帯同していたバンドメンバーで、9才年下のベーシスト・永田雄樹氏(45才)との交際が報じられ幸せを取り戻した矢先に事故は起きた。
「永田さんとは“互いを尊重した大人の関係”で、中山さんは本当に居心地がよさそうでした。妹の忍さんも独身でしたが、晩年は2人して“結婚はもういいかな”と言い合って、姉妹で支え合っている感じが強かった。誰もがうらやむほど姉妹仲がよくて、このままずっと2人とも楽しく仕事を続けていくんだろうと思っていたのに……」(前出・別の芸能関係者)
2023年8月に出演した番組で「生まれ変わったら、もう1回芸能界に入りますか」と質問された中山さんは、「入ります。私のままで」と即答。「60才になったとき、カッコいいおばあちゃんでいたい。60はまだ若いか。ずっとずっと続けていたい」と話していた。人一倍寂しがり屋で「サヨナラ」という言葉を何よりも嫌っていた中山さんは、誰にも何も言わず、ひとりで静かに旅立った。
※女性セブン2025年1月1日号