地球15周半の移動
皇室に入られた美智子さまがとりわけ大切にされていたのが、海外訪問だった。ご成婚から2年後の1960年に行われたアメリカ訪問を皮切りに、次々と国際親善や、戦争の犠牲になった土地や被災地に足を運ばれる「祈りの旅」を行われた。皇族にできることは、ある事柄や事態について祈り続けることだ、と考えられていた美智子さまにとって祈りの旅は特別なもので、海外訪問の回数は、皇太子妃と皇后時代を合わせると、なんと128回に及ぶ。
「時代が違うので一概に比較することはできませんが、香淳皇后の海外訪問は9回でしたから、美智子さまがどれほど海外訪問に心を砕かれたのかがわかります。海外訪問に際しては、その国の文化や慣習を事前に学ばれたり、相手に失礼のないようにお召し物を新調されたりと、かかる労力は国内訪問の比ではありません。それでも国際親善のために、そして先の大戦の戦地への慰霊のためにという強いお気持ちで、美智子さまは海外訪問を続けられました」(皇室ジャーナリスト)
平成の時代、美智子さまは現地に赴き、顔を合わせることを重要視されてきた。
「海外では積極的に現地の住民や戦闘を経験した元軍人との懇談を行われ、国内で大きな自然災害が起きれば、被災地を訪問され、膝をつき被災者と同じ目線で励ましの言葉をかけられてきました。
慰霊に被災地訪問にと、国内外を飛び回られた上皇ご夫妻の、平成30年間の総移動距離は62万kmを超え、地球15周半に相当します。それだけ美智子さまは祈りの旅に心身を捧げられてきたのです」(前出・皇室ジャーナリスト)
とはいえ、航空機での移動が体にかける負担は大きいのか、御代がわり以降、上皇ご夫妻が航空機を使って地方訪問をされたことはない。
「それでも2024年度まで予算が計上され続けていたのは、できることならもう一度祈りの旅を、という強いお気持ちがあったからでしょう。また、38年前に一度計画されながらも出発直前に美智子さまが子宮筋腫の手術を受けられたことで中止となって以降、実現していない韓国訪問も美智子さまの悲願だったといいます。だからこそご決断されるまでに時間が必要だったのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
遠方への旅を手放されてもなお美智子さまは、上皇后としての新しいなさりようを模索されている。
「現地に足を運ぶことは困難でも、御所でできることもあるはずですから、美智子さまはいまのご自身に何ができるか考えているのではないでしょうか。まずは、自分がけがから復活し、上皇さまと並んで元気に歩く姿を見せたいというお気持ちで、一日も早い快復を目指されていることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
美智子さまの歩みは新しい年も止まらない。
※女性セブン2025年1月2・9日号