「(5本目に失敗した時は)びっくりして心臓が止まりましたわ。血圧が上がって、もうアカンと放心状態になりました。玉井君には『頑張ったらアカンで』とずっと言ってたんです。あの種目は玉井君も自信があるから“金メダルを決めてやろう”と思ったんやと思う。あの子も若いわ。帰ってきたら“あんた、頑張りすぎたな”と頭をコツンと叩いてやろうかなと思っています(笑)」
自身もメダルが期待された1964年の東京五輪では大声援のプレッシャーに負けて7位入賞で終わったが、その経験を生かして大きな大会では“頑張り過ぎないように”と玉井ら教え子に指導してきた。
「でも、金メダルを獲れなかったほうが玉井君にとってよかったのかもしれない。こういう失敗をしたことが、今後に生きる。そういうことがわかる子やからね。いい薬になったと思う。金メダルを獲ると守りに入るようになる。まだ17歳と若いし、もっともっと上手になる。今でも世界で1番の技を持っているし、美しさでは中国の選手でもかなわないからね。4年後の五輪は私が年齢的に心配ですが、期待しています」
笑顔でそう語っていた馬淵さんだが、2028年のロス五輪で玉井が表彰台の一番高いところに立つ姿を見ることはできなかった。謹んでご冥福をお祈りしたい。
◆取材・文/鵜飼克郎(ジャーナリスト)