大船渡高校の在校生に語った「高校時代からアメリカに行くことを考えていた」
また、大船渡に帰省中の11月下旬、佐々木は母校の在校生を前に、こんな発言もしていたという。
「僕は中学時代の仲間と甲子園に行くために、大船渡高校に進学しました。高校時代はとにかく練習をしました。全体練習を終えて、先生が帰ったあとも、こっそりグラウンドに戻って練習していました。あまり大きな声では言えないですし、今ではそんなことも許されないと思いますが。そして、僕は高校時代からメジャーに対する憧れがありましたし、将来はアメリカに行くことを当時から考えていました」
しかし、大船渡高校時代から佐々木を追ってきた筆者からしたら、ポスティング移籍を表明した経緯には強い違和感を覚える。
大船渡高校時代、甲子園出場のかかった2019年夏の岩手大会決勝で、当時の監督であった國保陽平氏がマウンドに上げなかった時も、佐々木は國保監督に登板を直訴することなく、試合中はずっとベンチに座って戦況を見守っていたような選手だった。高校3年生ながら163キロを出した佐々木に対し、「あまり自己主張する子ではありません」と語ったのは、佐々木も参加した2019年の高校日本代表を率いた永田裕治監督(当時)だが、その点に関して筆者は永田氏に“激しく同意”であった。
だが、一昨年のオフには早期のポスティング移籍を千葉ロッテに訴えて契約更改が越年し、日本プロ野球選手会も脱退していたことが発覚。その姿は高校時代の印象とは対照的で、“わがまま怪物”といったイメージが定着してしまった。千葉ロッテでは慎重な起用法のもとで大切に育てられた一方、在籍5年間で1シーズンをフルでマウンドに上がり続けた年がないことや、ポスティングに伴うわずか162万5000ドル(約2億5390万円)ほどの譲渡金だけで大切に育てられた千葉ロッテを離れることも相まって、素直に佐々木の挑戦を応援できないという声があるのも無理はないだろう。
口数が少なく、自己主張をしない純朴な野球人の姿を知っているからこそ、一昨年頃からなりふり構わずメジャー挑戦を直訴し、日本プロ野球選手会を脱退してまでポスティング移籍を強行することに私は強い違和感を覚えてしまう。
これが本当に佐々木朗希自身が望んだ道なのか、と。
■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター、『甲子園と令和の怪物』著者)