オレとカミさんとの不思議な関係
自業自得でメタメタに打ちのめされていたのだけど、実はカミさんとの関係はまだ完全に切れたわけじゃない。
カミさんが出ていって、もう5年が経った。まだ籍は残っているし、日常の身の回りの世話も献身的にやってくれる。いまでもオレが仕事に行っているあいだに、カミさんはひっそりと我が家にやってきて、洗濯や掃除をしてくれている。外食中心だから食べることは自分でやっているけれど、それ以外の家事全般はカミさんがやっていてくれるので、なんとか“普通の生活”は維持できている。
オレの仕事のスケジュールもすべて把握しているから、それこそ地方に出かけるときには、きちんと荷物をまとめてくれて、カバンひとつで出かけられるように準備までしてくれる。そして、いつもメモが置いてあって、そこで簡単な近況報告のやり取りをする。
電話を鳴らしても着信拒否だし、LINEはブロックされているから、デジタル上のつながりは完全に失われてしまった。
けれども、アナログでのつながりはかろうじて保たれている。我が家では、競輪場で車券を購入するときに記入するマークカードの裏をメモ用紙代わりにしているのだけど、これまでに数えきれないくらい投票券による往復書簡が繰り返されている。
ほかの手段としては、せがれの嫁さんに言付けをして代わりに連絡を取ってもらうこともある。直接声を聞いているわけじゃないにせよ、それだけでもホッとするよ。
そのうち、往復書簡も失われて伝書鳩や矢文や狼煙になるかもしれないけどさ、コミュニケーションツールが残されているだけありがてぇよな。
カミさんが出ていく前、ふたりで個人会社を発足させた。で、その会社の社長の名義はカミさんだ。会社をつくった途端にいきなり社長が失踪して、波乱万丈の幕開けだったわけだけど、カミさんの偉いところは、オレに愛想を尽かしつつも社長としての業務をまっとうしてくれていることだよ。
オレは結婚してからずっと小遣い制でやってきた。カミさんからの供給がストップしてしまえば、真っ先にオレはダウンしてしまう。
だから、兵糧攻めをして、オレを干上がらせることなんて簡単なことなのに、きちんと定額を準備しておいてくれるし、不測の事態が起こったときにもちゃんと工面してくれる。それだけじゃなく、社長でありながらも、会計や経理も担ってくれている。
ゆっくり対面したり、じっくり話をしたりする機会はないよ。でも、生活面でも仕事面でも、公私にわたって支え続けてくれているのだから、本当に助かるよ。
もちろんまだ怒っているだろうし、これまでのことを許してくれたわけじゃないのは十分過ぎるくらいに理解している。それでも、かろうじて関係が途切れていないことは、幸せなことだと思う。
カミさんが出ていってから、こんなオレにも初孫が誕生した。孫の存在もまた、オレたち夫婦の関係をつなぎとめる接着剤の役割を果たしてくれている。
孫の誕生日やお宮参りに行くときなど、なにかと孫がらみのイベントや行事があるから、そのたびに「じいじ」と「ばあば」は顔を合わせることになるってわけだ。そのときはお互いに気まずさや気恥ずかしさはあるけれど、そのおかげでカミさんの顔を見るチャンスが与えられて、「元気そうにやっているな」って確認できるのは素直に嬉しい。
まさに、「子はかすがい」ならぬ、「孫はかすがい」だよ。
ちなみに、孫をあやしながら、「ばあばはどこに行ったのかなぁ? じいじのところに戻ってくるかなぁ?」って、ふざけていっていたら、せがれの嫁さん、つまり義理の娘が「帰ってこない!」って断言していたっけ(苦笑)。
女同士では連絡を取り合っているんだろうな、きっと。幸いなのは、せがれ夫婦とカミさんとの関係は以前のままであること。いや、むしろ深まっているようにも感じる。「ダメ男」という共通の“悪役”ができたのがよかったのかな?
で、いまさらながらカミさんの立場でものごとを考えるようになった。
結婚して30年ものあいだずっと、身勝手な暴君の悪政に耐え続けてきたんだよな。そしてついに堪忍袋の緒が切れて、彼女は「家を出ていこう」という決断を下した。
きっと、オレに気兼ねすることのないひとりでの生活は楽しいと思う。結婚後はじめて、「自由」というものを満喫しているのかな? 本来ならそのままフェードアウトして自然消滅となってもおかしくなかったし、いきなり離婚届が送られてきたっておかしくなかった。だけど、それでもオレのことを気にかけてくれるんだからさ、やっぱり「感謝」という言葉しか思い浮かばないし、泣けてくるってもんだよ。
(第4回に続く)